フィリピンの「中華文化」

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2020年2月5日

歴史の中でフィリピンの経済や文化に影響を与えてきた華僑・華人について知ることは、この国について深く知ることでもある。ジャーナリストのアンソン・ユウ氏に、フィリピンの華人について聞いた。

異文化に適応しつつ 生き抜いてきた華人

フィリピンと中国との間で9世紀頃には宋王朝時代の陶磁器の貿易が行われていました。そしてスペイン統治時代に在住中国人が増え、米国統治開始から間もない1899年6月には4万人という記録が残っています。フィリピンで初めての国勢調査が行われた1903年には4万1,035人、その後1921年5万5,212人、1933年7万1,638人、1935年11万0,500人、1939年13万人へと増えていきました。1930年代後期に大幅に増えたのは日中戦争の影響です。多くは中国南東部の福建省泉州、晋江の出身者であり、移住先にフィリピン、マニラを選んだのは航海の距離が近かったからでしょう。

現在、フィリピン華人の人口は約120万人、その約50%はマニラ在住といわれています。言語グループ別では福建80%、広東10%、あと10%は不明です。東南アジアに多い客家(ハッカ)系華人は、フィリピンでは私は会ったことがありません。華人が中国語を話すかどうかは、家庭環境や教育によります。

中国人居住区で盛んに経済活動

スペイン統治時代、中国人はパッシグ川沿いのパリアン(The Parian)と呼ばれる地区に隔離され、その中で商人や職工として働き、暮らしていました。最終的にはスペイン政府が1594年にカトリック信者の中国人居住区として建設した、ビノンドへ中国人は移り住みます。ちなみにビノンドという名前は古いタガログ語で丘陵のある地形を意味するBinundokに由来します。

パリアン、ビノンドで盛んに行われた中国人の経済活動は、米国の統治期になるとますます活発化していきます。その後の第二次世界大戦中の日本占領下では、中国人はフィリピン人、米国人とともに自由を求めて日本に立ち向かいました。

激動の歴史の中で、中国人はフィリピン人、時の統治者であるスペイン人、米国人との時代にも適応して生き抜いてきました。異文化を受け入れる柔軟性と覚悟を持ち、フィリピンに適応、同化し、フィリピン人としてのアイデンティティを確立していったのです。フィリピン華人の多くはカトリックです。ビノンドでは十字架に向かい仏教式に祈りを捧げる様子が見られます。食文化においても、ビノンドの老舗の中国料理店はフィリピン人の嗜好に適応させてきました。

今、多くの中国人がフィリピンに来てビジネスをしています。中国人の先達たちのように、彼らはどのようにフィリピン文化を受け入れていくのか。今後を注目したいと思います。

Anson Yu (尤 澤淵)ジャーナリスト・写真家。『Chinese-Filipino Digest Tulay』紙等に寄稿。マニラ歴史散策ツアー「Old Manila Walks」(http://oldmanilawalks.com/)のガイドも務める。横浜やサンフランシスコなど海外の中華街も訪問。1930年に中国・福建省から来比した祖父とフィリピン華人の両親を持ち、タガログ語、英語、福建語、中国語普通話を話す。ビノンドに生まれ育ち、現在も在住する「ミスター・ビノンド」。

ビノンドとイントラムロスを結ぶジョーンズ・ブリッジ(Jones Bridge)。フィリピン華人の商工会団体が改装工事費として2,000万ペソを寄付した)。1919年に建設。戦争で破壊された後、1946年に再建。今は夜にライトアップされ、インスタ映えスポットとしてにぎわう。

 

 

 

ビノンドのトマス・ピンピン通り(Tomas Pinpin St.)にある礼拝所サント・クリスト・デ・ロンゴス(Sto. Cristo de Longos)。多くの華人が訪れて十字架に向かい、中国寺院で見られる長い線香を手に拝み、十字を切る。キリスト教と仏教が融合したユニークなスポット。

 

 

 

 

 

ジョーンズ・ブリッジのシーライオン(SeaLion)彫刻。「ライオンはスペインの国力の象徴であり、フィリピンはその力が及ぶ遠方の地としてフェリペ2世によってシーライオンと呼ばれました。シーライオンは過去400年にわたってマニラ市の象徴です。現在でもフィリピンにおいて統治のシンボルとなっています。下半身が魚の尾なのはシンガポールのマーライオンも同じです」(アンソン・ユウ氏)

 

 

フィリピン華人について知る博物館

中華街ビノンドの成り立ちを解説
「チャイナタウン・ミュージアム」

世界最古の中華街とされるビノンドについての博物館。フィリピンの商業地区として発展したビノンドの成り立ちと、当時の人々の暮らしについて知ることができる。

アヘン窟の再現。当時の華人の苦難を物語る。

扇子の持ち方でこんな気持ちの伝え方があったとは

 

Chinatown Museum

4/F, Lucky Chinatown Building A, Reina Regente St., Binondo

開館:火〜日 10am ー6 pm

入場料 150ペソ

www.chinatownmuseum.org

 

華人の歴史を語る貴重な
資料を展示「バハイチノイ」

イントラムロスのマニラ大聖堂近くにある「バハイチノイ」では、昔の華人の生活を貴重な写真や資料の展示や、立体的な再現で知ることができる。中国との最初の貿易品目である陶磁器のコレクションや、ホセ・リサール、エミリオ・アギナルド初代大統領、コラソン・アキノ元大統領など華人の血を引く歴史に名を遺す人物についても紹介している。

9世紀に中国から持ち込まれた陶磁器。

スペイン統治時代の中国人居住区パリアンの
中で働く人々の再現(上)と貴重な写真。

 

菲華歴史博物館
Bahay Tsinoy
32 Anda St. cor Cabildo Sts., Intramuros, Manila
開館:火〜日 1p.mー5pm 
入場料:100ペソ
www.bahaytsinoy.org

 

 

(ナビマニラVol.64/2020年1月号巻頭企画)

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