CEBU セブ / からの通信

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2017年9月16日

永遠の平和を願い交流を深めるイベント
タリサイ市「上陸記念式典」
by: 安藤 尚子(セブ在住)

かつて激戦地であった海岸線から見る今日の夕日

かつて激戦地であった海岸線から見る今日の夕日


セブ市の南に位置するタリサイ市の海岸にはAmerican landing monumentがあり、毎年3月26日は「上陸記念式典」が催され多くの地元の人で賑わいます。
この日は大東亜戦争中、アメリカ軍のアメリカル師団がセブ島に上陸を開始した日になります。
式典のタイトルからも分かるように、上陸記念はアメリカ軍がフィリピンを日本軍からの解放したという戦勝国側の歴史史観によってとり行われます。
日本は敗戦国ですので、肩身の狭い参列になるかと思いきやフィリピンの人々は快く歓迎してくれます。
式典にはフィリピンの政府関係者、軍関係者、元ゲリラ兵、そしてアメリカと日本の関係者も参列し、各国の国旗掲揚、国歌、弔銃射撃、フィリピン軍のパレード、スピーチなどが行われ、この海岸で亡くなった両軍の勇敢な兵士と犠牲になった多くのフィリピン人に哀悼の意を捧げ、永遠の平和を願い交流を深めています。
そしてクライマックスは、日本軍 対 アメリカ軍の模擬戦が本物の戦闘さながらに行われます。轟音とともに沖からゴムボートがやってきて、仕掛けた火薬があちこちで爆発。破片やら水しぶきやらが観覧席まで飛んできます。安全を確保しながら見るこのショーはなかなかの迫力です。
地元の人にとっては年一回のビッグイベントなのでしょう。
セブ島は日本軍のビサヤ諸島防衛の中心拠点で、兵力14,500人が置かれていいました。
1945年3月26日早朝、タリサイ市沿岸に米海軍上陸用艦艇20隻余りが現れます。 午前7時、米軍の空海両面の一斉射撃が始まりました。海岸線に対する艦砲射撃、そして空からはグラマン機による波状攻撃で、それまでは静かであった市街は一瞬にして火の海に包まれました。 日本軍と米軍の激戦は夕刻まで続き、双方共に相当の被害を出して第一日目は暮れました。
セブ島諸隊は大東亜戦争終戦の8月頃まで戦いつづけました。
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上(左):フィリピン政府関係者や軍関係者をはじめ、米、日の関係者も列席 上(右):かつての日本軍に扮する若者たち 左:亡くなったすべての人々に哀悼の意を捧げ、平和を祈る

上(左):フィリピン政府関係者や軍関係者をはじめ、米、日の関係者も列席 上(右):かつての日本軍に扮する若者たち 左:亡くなったすべての人々に哀悼の意を捧げ、平和を祈る

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