ベンゲット州から南イロコス州へ
Trekking tours across the mountain range from Benguet to South Ilocos.
友人でカメラマンのライネルから以前から約束していた登山に誘われた。日程は3日間、バギオが位置するベンゲット州から西の山脈を越え、南シナ海側の南イロコス州へ抜けるという行程だ。参加するメンバーはライネルとその友人たちで、全員山岳民族出身。私ひとりだけが日本人という編成で、他のメンバーについて行けるのだろうかという不安を抱えながら初日を迎えた。午前4時にバギオの隣町トリニダード町を出発し、車で3時間行ったベンゲット州キブンガン町へ。山のふもとのアバス集落で朝食をとったのち入山だ。
1日目の道は松林と岩場が交互に現れる登りと、切り立った崖が両端にある尾根。岩場は照り返しもあり暑さを一層強く感じさせる。対して松林を抜ける風はすがすがしい。途中僅かに湧いている泉の水を空きボトルにいれて大切に飲む。「水の一滴は血の一滴」。どこかで聞いたそんな言葉が頭をよぎる。この日は昼食をはさんで8時間ほど歩いた。
夕方4時、この日滞在する予定のタカダン村へさしかかったころ、10歳くらいの子供たちに出会った。これからキブンガン町へ歩いて行くのだという。私たちが7時間かかる道を、村の人たちは1時間半ほどで歩いてしまう。
夕方5時頃に本日のキャンプ地タカダンに到着。学校の校庭にテントを張らせてもらうことになった。校庭の脇には共同の炊事場があり、村人たちが集まっていた。タカダンには車道がなく、たどり着くためには登山道を徒歩で行くほかに方法がない。外部からの来客は珍しいので歓迎されるのだと、一緒に登山していた写真家のグラディスが言う。
その言葉の通り、村の人たちは私たちのために炊事場で大きな雄鶏を絞めてピニピカン(鶏の表面を炙って煮込む山岳料理のスープ)を作ってくれた。ピニピカンをつまみにジンを村人たちと酌み交わす。村の若者が一人、何やら英語で話しかけてきたが要領を得ない。酔っぱらっているせいだろうか思っていると、突然友人たちが笑い出す。
「英語を知らないから知っている英語の歌の歌詞で話しかけようとしているんだよ」。ライネルが笑いをこらえながらそう言った。私も笑いながらもそこまでして話そうとしてくれた彼の心に感激した。彼が伝えようとした言葉はどれも「この村に来てくれてありがとう」という気持ちにあふれていたから。
2日目は山岳地帯から南イロコス州へ抜ける。午前中いっぱいかけて山脈の西端に到着すると、そこには断崖絶壁を縫うように路が続いていた。イロコスの平原から吹き上げる風は山道に砂埃を舞いあげる。45度以上ある急な傾斜で転倒すれば命の保障はない。昔の山岳民族は道路がないころ交易にこの道を使っていたという。重い交易品を担いでこの道を通ったと考えると身がすくむ。
断崖絶壁の道をやっとの思いで2キロほど行くとリクガン集落へ。そこはもうすでに南イロコス州なのだが、集落は山岳民族の村の風景だったので不思議に思っていたら、村人がイロカノ族(イロコス州の平野部住民の多数派を占める民族)とカンカナイ族(ベンゲット州を中心として居住する山岳民族)の居住地域の境はこの村の先にあるイナサン川で、州境とは違うのだと教えてくれた。自然の障壁が人々を分けていることを実感した。2日目の晩はこの集落の住民の納屋を貸してもらい宿とした。
3日目の最終日はリクガン集落から坂を1時間ほど下ってイナサン川へ。川には橋がなく対岸へ渡るには浅瀬を徒歩で渡る。朝早くに出発した甲斐もあり、川で夕方まで水泳を楽しむことができた。渡し場にはサリサリストア(何でも屋)が数件あり、そこの子供たちが川泳ぎを楽しんでいた。私が川の淵で素潜りを披露すると子供たちは興味津々。いつのまにやらにわか水泳教室に。この旅の最後の最後まで地元の人たちと交流することができた。
渡し場からジプニーをチャーターしてラ・ユニオン州に行き、バギオ行きのバスに乗り込む。
「また訪れよう」。そう思いながら帰りのバスの車窓から山々を眺めた。
(Cordillera Green Network & Share and Guesthouse TALA インターン 高橋侑也)