セブ戦争秘話 2 by: 蝶谷 正明(セブ日本人会)
1944年は日本陸海軍が必死に戦勢を立て直すべく乾坤一擲の作戦を実施するもことごとく失敗し、敗戦必至の状況に陥った年です。
3月、ビルマからインド侵攻を計画し無数の餓死者を出し敗退したインパール作戦。
6月、マリアナ海戦では虎の子の空母機動豚が実質的に壊滅。それに伴いサイパン島、グアム島、テニアン島が陥落し、日本本土がB29の空襲圏に入ります。
10月、台湾沖空中戦はアメリカ機動部隊全滅の誤報によりレイテ島の戦いが起こり、8万人が全滅する悲劇に繋がります。
同月のレイテ沖海戦で日本海軍は残っていた艦艇のほとんどを失うとともに神風特別攻撃隊が出撃、この作戦は翌年8月15日まで続きます。
神風特攻隊の最初の出撃は一般的には10月25日、ルソン島のマバラカット西飛行場を発進した関行男大尉の率いる敷島隊と言われています。しかし、現在セブ市のITパークとウォーターフロントホテルの敷地にあった海軍ラフグ飛行場を21日に発進した大和隊久納好孚中尉搭乗の零式戦闘機が時系列的には第一号になります。関大尉は初戦果を挙げ、彼が海軍兵学校出身であったのに対し久納中尉は戦果未確認であり学徒兵であったからなどとも言われていますが、真偽のほどはわかりません。
この時期のセブはフィリピンにおける海軍航空隊の中心的基地の一つとして多い時には100機を超える海軍機が展開していました。米軍撮影の航空写真を見ると度重なる空襲により2本あった滑走路は月面さながらの状態です。
今、私が特攻の理非を語ることは出来ませんが、この飛行場を飛び立った若干23歳の青年の胸に去来したものは何であったのでしょうか。
世界的規模のIT産業中心地セブITパーク、そして多くの観光客で賑わうウォーターフロントホテル。この地には75年前に起きた歴史的事実が秘められています。