Manigong Bagong Taon! 新年あけましておめでとうございます。2020年最初のフィリピノ・ワールドは、フィリピン人がどのようにして今のような名字(appelyido)を持つようになったかのお話です。

 

 

 フィリピンがスペイン領となった当時、現地の人たちは様々な呼び名を使っており、「野原の〇〇」「海辺の〇〇」のように住んでいる場所で呼んだり、「XXさんの孫」のようにお爺さんの名前で呼んだりしていました。しかし、それでは一人の人の呼び名が一生のうちに何度も変わるため、スペイン領フィリピン総督府が税金を取り立てるのに不都合でした。さらに、洗礼を受けカトリック教徒となったフィリピン人は、自分のスポンサーとなった人の名字を自分の名字にしたり、聖人の名を自分の名字として使ったため、同じ名字の人ばかり増えてしまうという点も問題でした。

 

 

 そこでフィリピン総督ナルシソ・クラベリアは1849年に法律を作り、スペイン人の名字を中心にフィリピンによくある名字などを加えた目録 “Catalogo Alfabetico de Apellidos” (名字アルファベット順目録)から、フィリピン人に名字を選ばせて登録させ、それ以降の名字の変更を禁止しました。しかしその当時は本の複写は容易ではなかったため、ページを破いて各地域に配り、配られたページに書かれた名字から選ばせたそうです。このため、ある町ではAで始まる名前の名字ばかりが登録され、ある別の町ではVで始まる名前ばかりが登録される、という冗談のようなことが起こりました。

 

 

 フィリピン人の多くは、たとえスペイン系でなくてもスペイン風の名字を選んで登録しましたが、ラグナ州、パンパンガ州、バタンガス州では現地の言葉に由来する名字が登録されたケースが多く、たとえばラグナにはKarunungan(知識)、Karamihan(多く)等の性質を表す名字があり、パンパンガにはMacapagal(疲れるような)、Gatmaitan(トウモロコシ畑の)等の名字があります。バタンガス州には勇敢そうな名字が多く残っており、Dimayuga(揺れない)、Dimagiba(壊せない)、Dimalibot(引き回せない)等の名字があります。

 

 

 同様に華僑も名字を変えさせられました。洗礼時のスポンサーの名字をそのまま使うケースもありましたが、家長のフルネームをくっつけた名を名字として登録したケースもありました。たとえばCojuangco (コフアンコ)やTeehankee(ティーハンキ―)、Ongpin(オンピン)、Yupangco(ユパンコ)などがその例です。Dizon(ディゾン「二孫」)、Sison (シソン「四孫」)Lacson(ラクソン「六孫」)などもその当時登録された名字です。

 

 

 

 それ以降に移住してきた華僑はTan(タン)、Go(ゴー)、Sy(シー)など漢字一文字から来た短い名字を使いましたが、1900年代にアメリカ領になると、アメリカの中国人排斥法がフィリピンでも適用され、フィリピン国内で商売できなくなりました。そこで、フィリピン人の名字をお金で買ったり、フィリピン人の養子になってフィリピン人の名字を引き継いだりして事業を継続した華僑も多かったようです。

 

 

 

文:デセンブラーナ悦子
日英・タガログ語通訳。大阪外大フィリピン語学科卒。在学中にフィリピン大学に交換留学。フィリピン人の夫と1992年に結婚、以後マニラに暮らす。趣味はダンスだが、最近は時間が取れないのが悩み。