『フィリピンの一日本人から』
大沢清 著(びすく社)
在留邦人の先達から 学ぶこと
本当のフィリピン好きとは彼のような人間ではないだろうか。比人からこんなにも愛された日本人がいたことにも驚く。本書は1981年に発行されたマニラ会初代会長の大沢清氏の自伝だ。
椰子が生い茂る南国での生活に憧れて、フィリピン行きの移民船に乗ったのは19歳の時。目的地のダバオに行く前にサンボアンガで気まぐれに1人、船を降りてしまう。無一文になりながらも、前向きに人生の目的を探していく。バシラン島では米国人経営の椰子山で先住民ヤカンと寝起きを共にしながら働き、マニラでは当初、気乗りしなかった商売へと身を投じる。戦前のマニラで一財産を築きダイナミックながらも常に謙虚さを失わない、そんな生き方だった。
太平洋戦争の勃発は在留邦人の運命を大きく狂わせた。日本軍入城の際の「日本軍は、ただ威圧と弾圧とによって、自分の思う通りにフィリピン人を操れると考えている」という漠然とした違和感は次第に確信へと変わっていく。多くの比人を助け辛苦を共にした仲間たちの無残な死。そうした中で死の淵から強靭的な生命力で生き延び、敗戦後の帰国時に罵声を浴びせられたフィリピンへ、大沢氏は13年ぶりに戻るのだ。
妻子を日本兵に殺されたにもかかわらず、後にモンテンルパ刑務所の日本人死刑囚に大赦を与えたキリノ大統領。本著には彼に関する記述も出てくる。瀕死の重傷を負った大沢氏を病院に見舞った秘書の比人女性が帰宅途中、「白いズボンがドロドロに汚れ、肌着のシャツ一枚をだらりと着て、放心したようにトボトボ歩く」キリノ大統領(戦前は内務長官)の姿を見かけている。「家族を日本兵に突き殺された直後」だったのだろうと推測しているが、キリノ大統領のこうした姿はほとんど伝わっていない。
フィリピンに生きる一日本人として、決して忘れてはならない歴史である。
Philippine no Ichi Nihonjin Kara
A memoir written by Kiyoshi Osawa, who migrated to the Philippines from Japan at the age of 19 before the World War 2 broke out .
岡田 薫
Kaoru Okada
まにら新聞記者。横浜市出身。愛読書:『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(スベトラーナ・アレクシエービッチ著 松本妙子訳(岩波現代文庫)
「フィリピン大統領選挙の取材に追われる日々がやってまいりました」