みなさん、こんにちは。Kumusta kayo? フィリピンにも多くのことわざがありますが、中には日本のものと似たものもあり、またことわざからもフィリピンらしさを感じることができます。今回はフィリピンでよく知られていることわざを紹介します。
Pag may tyaga, may nilaga
tyagaは忍耐のこと、nilaga(ニラガ)は肉と野菜を煮込んだポトフに似たスープ料理です。直訳すれば「忍耐あればニラガあり」。ニラガはじっくり煮込まなければ肉が柔らかくなりません。ニラガを煮込むくらいの時間は忍耐と言わないような気がしますが、そもそも忍耐して働かなければ肉を買うこともできず、ニラガが食卓に上がることもないという意味も含まれているのでしょう。tyagaとnilagaが韻を踏んでいます。
Ang gawa sa pagkabata, dala hanggang pagtanda
gawaは「行ない」でpagkabataが「幼いころの」、dalaは「持っていくこと」、hanggangは「~まで」、pagtandaが「老いたとき」という意味です。つまりこの文は「子供の頃の行ないは老いても変わらない」という意味ですが、日本の「三つ子の魂百まで」によく似ています。gawaとdalaのペア、pagkabataとpagtandaのペアが韻を踏んでおり、意味の対比にもなっています。
May tainga ang lupa, may pakpak ang balita
taingaは耳、lupaは土、pakpakは翼のことでbalitaは知らせやニュースのこと。訳せば「土に耳あり、知らせに翼あり」という意味です。日本のことわざ「壁に耳あり障子に目あり」とよく似ていますが、日本では壁や障子に耳や目がある、つまり誰かが聞いていて秘密にはできない、というところまでしか書かれていないのに対し、フィリピンでは知らせには翼があって、飛んでいってしまうのが面白いです。翼があるんですから、噂はあっという間に広がってしまうということですね。
Huwag magbilang ng manok, hangga’t hindi napipisa ang itlog
magbilangは「数える」、manokは「鶏」、napipisaが「(卵が)かえる」、itlogは「卵」という意味で、文全体では「卵がかえらぬうちに鶏を数えるな」という意味です。日本の「捕らぬ狸の皮算用」と同じですね。卵が産まれても、まだ全部孵化して鶏になるとは限らないので、鶏を売った儲けを予め見込んで散財するな、という意味です。こういうことわざがあるにもかかわらず、年末の「13カ月目の法定ボーナス」を受け取る前から早々と借金をして使ってしまう人が多いのはなぜなのでしょう。あるいはそういう人が多いからこその戒めなのでしょうか。
Mahirap mamatay ang masamang damo
masamang damoというのは「悪い草」つまり雑草のこと。mahirap mamatayとはなかなか根絶やしにできないという意味です。もちろんこの「雑草」は比喩で、日本で言えば「憎まれっ子世にはばかる」や「雑草は早く伸びる」と似たことわざです。裏金などを使って物事を進めようとする人が大儲けをし(長生きをし)、まじめにコツコツ働く人の暮らしはなかなか楽にならない。日本でもフィリピンでも、昔から人の世は同じなんだなぁと思わされることわざです。
Nasa Diyos ang awa, nasa tao ang gawa.
「神に慈悲あり、人に行ないあり」awa(慈悲)とgawa(行ない)が韻を踏んでいます。日本では「人事を尽くして天命を待つ」と言われますが「全てをやり尽くしたのだから後は神の沙汰を待つ」というよりも、フィリピンのことわざの方は「神様の慈悲を信じつつも、ただ待っているばかりでなく行動を起こすのが人間の責任」という意味にも取れるように思います。
筆者のフィリピン人の義父は生前よくことわざを引用しながら話す人でしたが、最近の若い人も年配の人からことわざを聞いたりするのでしょうか。ことわざにはその土地の伝統的な知が集約されており、言葉のセンスや感覚を習得するのにも役立つので、今後も語り継がれていってほしいと思います。
文:デセンブラーナ悦子 日英・タガログ語通訳。大阪外大フィリピン語学科卒。在学中にフィリピン大学に交換留学。フィリピン人男性と1992年に結婚後マニラ在住。
Twitter:フィリピン語ミニ講座@FilipinoTrivia