市街戦の惨劇を伝える
太平洋戦争祈念碑
これまでこの連載で紹介してきた銅像は、フィリピン史上に名を残す偉人たちの像だったが、今回の像は、名もなき人々の嘆きを伝える祈念碑である。この祈念碑は、マニラ市イントラムロス内のマニラ大聖堂近くにあり、日本軍と米軍を主とした連合軍の間で起きたマニラの戦いで犠牲となった10万人以上のマニラ市民を弔い、市街戦に巻き込まれた市民の悲しみを象徴するものだ。
中央で頭をスカーフで覆い座っている女性は、息絶えた赤ん坊を抱え、悲愴な表情で見つめている。作者のピーター・デ・グスマンによると、彼女は希望の象徴であるが、死んだ赤ん坊を抱え悲しみに暮れている。つまり絶望を意味しているという。向かって右手にいる別の女性は性的暴行を受けて着衣が乱れ、目を閉じてうなだれている。その彼女には赤ん坊がしがみついている。手前にいる男性は、この市街戦で犠牲になった老人を、左手にいる少年たちは国が失った若い世代を象徴する。また、左手の男性は頭を抱えうなだれ、失望を露わにしている。マニラの市街戦は、第2次世界大戦中に起こった最悪の悲劇の一つとして記憶されている。
市街戦の惨劇を伝える
太平洋戦争祈念碑
マニラの戦いの惨劇を象徴する人々の像の下の礎には、小説家でナショナルアーティストのニック・ホアキンによる犠牲者への追悼の言葉が刻まれている。
「この碑をすべての罪なき戦争の犠牲者へ捧げる。罪なき犠牲者の多くは名も分からず、人知れず共同墓地に葬られた。火に焼かれた肉体が廃虚の灰と化し、墓すらない犠牲者もいた。この碑をマニラ市街戦(1945年2月3日~3月3日)で殺された10万人を超える男性、女性、子ども、幼児一人一人の、そしてすべての犠牲者の墓石としよう。われわれは彼らを忘れておらず、永遠に忘れはしない。彼らが、われらの愛するマニラの神聖な土となり安らがんことを願う」(編集部訳)
(初出まにら新聞2024年3月12日号)