森林農法による復興事業
私たちのNGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」が、2010年10月に神奈川県のNPO法人「WE21ジャパン」とともに始めたアラビカ・コーヒーのアグロフォレストリー栽培事業が10年目の2020年に終了した。この事業は、2009年10月にルソン島北部を襲った台風ぺペンによって大きな被害を受けたベンゲット州トゥブライ町の小さな集落の復興プロジェクトとしてスタートした。「アグロフォレストリー(森林農法)による災害に強いコミュニティづくり」というのがその事業名だ。
WE21ジャパンは、家庭で不要になった衣服や日用品を販売するリサイクルショップを50店舗以上運営し、その販売益を国際協力や社会貢献事業に充てている女性たちによるNPO法人。当初は神奈川国際交流財団などから助成を受け、その後は「コーヒーの森づくり連絡会」という有志のショップのグループを作って事業のサポートを継続してきてくれた。事業の内容は、アラビカ・コーヒーをアグロフォレストリーで栽培し、コミュニティの環境再生と収穫したコーヒーの販売益による生計向上を同時にめざすというものだ。
それにしても10年も継続する事業は、CGNの20年の歴史の中でもほかにない。助成金による事業というのは多くの場合1年単位で計画を立て、長くても3年間で終了することを求められる。その期間にある程度の成果を出すというのが基本だ。何本木を植えたとか、1人当たりいくらの収入アップがあったといった数値が、助成団体にとってわかりやすい評価に結び付く。
では、このコーヒー栽培事業がなぜこんなに長く続いたか? その理由は、一言でいうと、なかなか目に見える成果が出なかったからだ。植林事業は成果が表れるのに時間がかる。コーヒーをメインとしたアグロフォレストリー事業では、ハゲ山に植える場合はまずシェイドツリー(Shade Tree)とよばれる日陰を作る成長の早い木を植樹する。その木が育って日陰ができたあとに、コーヒーの苗木を植える。コーヒーの最初の赤い実がなるまで植樹から約3年。それなりに収穫量が出るまでは5年はかかる。それを販売できて初めて、集落の人たちは「コーヒーを植えたことで生活が豊かになった」と実感ができるわけだ。
コーヒーは収穫した赤い実から販売するための生豆に加工するのに手間がかかる。いい値段で販売できる良質の生豆に精製するためには、それなりの機材や知識が必要となる。そのためにも資金や時間、そして努力が必要になる。ただでさえ時間のかかるタイプの事業であるうえに、この事業は事業地である集落と、集落の人の側にもいろいろと課題があった。
さまざまな困難を超えて
事業を始めてから徐々に判明したのだが、すぐ隣の集落は1980年代まで大きな鉱山開発会社によって採掘が行われていた場所だった。住民のほとんどがその会社で働いていたが、会社の倒産とともに仕事を失った。会社が採掘した金の精錬所に必要な水を引くために大きなトンネルが掘った影響で地下水の流れが変わり、集落は生活用水にも困るほどの水不足だった。在来種であるベンゲット松の林は残っていたが、松林の中は土壌が酸性で野菜栽培に適さず、多くの住民が農業から十分な収入が得られずにいた。生活に困ったときには何時間も歩いて鉱山会社のあった地域の川の下流に行き、砂金採りをし、それを販売して暮らしをつないでいた。こんな環境条件では、コーヒーノキは思ったように生育しなかったし、すぐに成果の出ないコーヒー栽培になかなか本気で取り組まない人も多かった。
集落の住民である山岳民族の気質も影響した。ひと口に山岳民族と言っても、民族によっていろいろな特徴がある。この集落に暮らす民族は、なかなか頑固で排他的な民族だった。よそ者に対しての警戒心も強い。土砂崩れをきっかけに、「復興のお手伝いをします」とやってきたNGOと外国人に疑心暗鬼だったに違いない。事業開始にあたって村人たちの暮らしについて聞き取り調査をしたが、高等教育を受けている人はほとんどいない。集落の人と外の世界とのつながりは、ほとんど最低限しかなかった。私たちNGOの事業担当スタッフも山岳民族だが、別の民族出身で、母語の民族語が違う。それだけでもよそ者となる。ましてWE21のメンバーの日本人は、彼らにとっては宇宙人のようなものだ。
事業開始とともに、何度もアグロフォレストリーの価値、植林の方法などについての講習会を開いた。そのうえで「植えたい」という人に苗木を配布したわけだが、ふたを開けてみたら、言われたようにちゃんと植えなかった人が続出した。シェイドツリーがないとコーヒーの苗木は育たないのだが、コーヒーだけしか植えない。生育した時に必要な苗木と苗木の間隔を開けないで植えた人も多かった。その結果、コーヒーの苗木は枯れたり、生育が思わしくなかったりする。「なぜ植えないの?」と聞くと「雨が降っていないから」。雨が降ったから植えるかと思えばそうでもなく、理由を聞くと「雨だから植えない」。この繰り返しだった。
担当スタッフと村人たちの間に信頼関係を徐々に築いていくしかない。幸いだったのは、村のリーダー格の女性(別の民族出身)が、私たちがこのプロジェクトでコーヒーノキを植え始める前からコーヒーを育てていたことだ。鉱山採掘会社でソーシャルワーカーとして働いていて、その会社の労働組合長だったこの集落の人と結婚したという。保育園の先生もやっていて、集落の人からの信頼が厚かった。実際にすでに収穫できているコーヒーノキを育てていた彼女の口添えで、集落の人たちは少しずつコーヒー栽培に本気で取り組み始めた。
積み重ねた信頼が実を結ぶ
プロジェクト開始から10年たった2020年のコーヒー生豆の収穫量は、コミュニティ全体でようやく約1トン近くになった。10年かかってようやくである。その間、辛抱強く毎年貴重なリサイクルショップの売り上げを、この成果のなかなか出ない事業にサポートし続けてくれたWE21「コーヒーの森づくり連絡会」のみなさんに、心から感謝を捧げたい。短い期間で成果を求められる助成事業では、成し遂げられなかったプロジェクトだと思う。
毎年、WE21の方が事業地を訪れてくれた。何度会っても外国人と話ができずにただニヤニヤしている集落の女性たちと一緒に、鶏を絞めた伝統的なごちそうのスープのランチを食べ、すごく急峻な植樹地まで息を切らせながら歩いてくれた。こうした10年の積み重ねで培ってきた信頼関係があったからこその1トンだ。新型コロナウイルスの感染拡大による渡航制限で、2020年の事業地訪問はできなかった。10年目の締めになるはずだった豪華な鶏ランチパーティも開催できなかった。それでも、集落の人々からWE21へ感謝の気持ちを届けたいという声を聞き、GCNのスタッフが感想を聞いてきた。
「コーヒーは集落のほぼすべての人の副収入に結び付くようになった。コミュニティ内でコーヒー豆を販売できるようになったのが大きい。町までコーヒー豆を売りに行くよりずっと容易だ」
(収穫したコーヒーを収入に結び付けるために、この事業ではマーケティングの支援も始めている。前払い金を収穫前に払い、集落内で私たちが買い取り、日本に輸出する。WE21のショップでも販売している)
「コーヒーノキがいたるところで見られるようになり、緑が増えた。カリエンドラやアルヌスなどのシェイドツリーはコミュニティを美しく彩った。帰路の道すがら、空気がひんやりと感じられるようになった」
新型コロナの感染があろうとなかろうと村はいつもと同じ村なのだろう。ゆっくりとした集落の時間の流れを思った。コーヒーやシェイドツリーの緑の中を歩いているときに、ちょっとだけWE21の人たちや私たちNGOスタッフのことを思い出してくれているかもしれないと思うと、この事業をやって本当によかったと思う。
WE21ジャパンウェブサイト http://www.we21japan.org/
環境 NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network / CGN)代表。Kapi Tako Social Enterprise CEO。山岳地方の先住民が育てた森林農法によるコーヒーのフェアトレードを行う社会的企業を運営。
Yagam Coffee オンラインショップ https://www.yagamcoffeeshop.com/
コーディリエラ・グリーン・ネットワーク https://cordigreen.jimdofree.com/