私たちの環境NGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」が、近年最も力を入れているプロジェクト、それはコーヒーのアグロフォレストリー(森林農法)による山岳地方の環境回復と先住民の暮らしの向上だ。私たちが最初に試験的にアラビカコーヒーを主な換金作物としたアグロフォレストリー・プロジェクトを始めたのは2005年。当時は山岳部の農家の人にコーヒー栽培など見向きもされなかった。それが今やフィリピン産コーヒーの需要は供給を大きく上回り、価格は高騰。誰も彼もがコーヒー栽培への関心を高めている。

 

アトックのコーヒー農家。売り先のなかったコーヒーを地道に栽培し続けてきた(2015年)

 

 

コーヒー農家の悲哀

 

 

 コーディリエラ地方を代表するコーヒー産地であるベンゲット州アトック(Atok)には1980年代初頭、マルコス政権下での農村部の生活改善プロジェクト「Kilusang Kabuhayan at Kaunlara(KKK)」によって、多くのコーヒーの苗木が植えられたという。KKKは地方自治体を通じた資金援助プロジェクトで、100軒の農家に対し100万ペソが割り当てられた。1軒あたり1万ペソが与えられ、多くの農家はこの資金でコーヒーの苗木や肥料を購入し、先祖から受け継いだ土地に植えた(そのため、現在のアトックのコーヒーノキは、樹齢40年くらいのものが多い)。

 

 しかし、そのコーヒーに買い手はつかなかった。コーヒーは収穫した実を販売できる生豆にするために、皮むき、発酵、乾燥、もみすり(殻むき)などの複雑な工程を必要とするため、年1回の収穫時には多くの人手と労力を要する。当時のコーヒー生豆の価格は、その労力に見合ったものではなかったのだ。多くの農家がコーヒー栽培をあきらめて、サヨテなどの野菜に転作した。

 

 私たちは2011年からアグロフォレストリー・プロジェクトで植樹したコーヒーを農家の安定した収入に結び付けようと日本のフェアトレード・マーケットへのコーヒー生豆の輸出を開始した。当時の私たちのコーヒーの輸出量は少なく、アトックで最大のコーヒー栽培地カリキン村で生産されている膨大な量のコーヒー豆をすべて買い取ることはできなかった。カリキン村に向かうと、多くの農家が自分の畑で育て、手作業で加工したコーヒー豆を抱えて待ち構えていた。できるだけ多くのコーヒー生豆を即金で買い付け、「もう予算を使い果たしたから」と立ち去ろうとすると、農家は口をそろえて「支払いはいつでもいいから、とにかくこのコーヒー豆を持ち帰ってくれ」と頼んだ。

 

アトックのコーヒー農家(2015年)

 

 

訪れた劇的な変化

 

 

 2015年頃、フィリピン・スペシャルティ・コーヒーの社会貢献型のスタートアップ企業「カルサダ(Kalsada)」が,コーヒー産地を探していると聞いて、カリキン村のあるコミュニティを紹介した。カルサダは、コーヒーの加工と乾燥施設を村内に作り、農家からコーヒーを摘んだばかりの赤いチェリーの状態で買取り、複雑で手間をかかる加工を地域で雇用したスタッフとともに自社で行い、安定した品質のスペシャルティ・コーヒーの生産を開始した。そして間もなく米国のコーヒー市場に進出し、フィリピンコーヒーの世界のコーヒー市場での認知に貢献してきた。

 

 

カルサダコーヒーのコーヒー豆乾燥施設

 

 

 

  そして、2018年にフィリピンコーヒー品評会でアトック・アラビカ・コーヒー生産者販売協同組合(ACOGMAC)のコーヒーが優勝すると、アトック産のコーヒーをめぐる状況は一変した。それまでフィリピンでコーヒーといえば、サリサリストアで売っている小袋入りのインスタントコーヒーだったのが、スターバックスなど海外の巨大コーヒービジネスがマニラなどで店舗数を驚異的に伸ばし、一般の人がレギュラーコーヒーを楽しむようになった時期とも重なった。そして、コーヒーについての知識はないであろう一般消費者が、アトック産の受賞コーヒーを競って求めた。

 

 

コーヒーの未来は・・・

 

 

 手元のデータでは2016年に1キロあたりわずか120ペソだったアトックのコーヒー生豆の価格は、7年経った現在(2023年1月 )では800ペソ(約1900円)にまで高騰。ちなみに日本でスペシャルティコーヒーを扱う自家焙煎店が購入する生豆コーヒーの価格は、1キロ1500円程度が中心とされる。従来はACOGMACが独占的にアトック産のコーヒーを扱ってきたが、アトック拠点のコーヒー農家「タヤオTayao」など、自力で販売に乗り出す農園もでてきて、価格競争はますます激化している。

 

 この「アトック・コーヒー・フィーバー」は、品質向上のためのきめ細かな指導を継続しながら、安定した適正価格で農家から直接コーヒー豆を買い付け、日本のフェアトレード・カンパニーに輸出してきた私たちにとっては、はた迷惑な話である。人気のアトック・コーヒー不足から、バイヤーたちは近隣の自治体を回って法外ともいえる価格で買い付けをし、アトック産コーヒーとして販売を開始している。プロジェクトを通じて地道に関係を築いてきた私たちのパートナーの農家も、まだコロナ禍による経済的打撃から完全には復活しきっていない中、品質保持よりも目先のお金にとらわれてしまうケースもある。粗悪なアトック・コーヒーが市場に出回り、せっかく築いた評判に傷をつけたりしないことを願うばかりである。

 

ACOGMACの倉庫兼作業場。欠点豆を取り除く選別作業中。

 

 

 

反町 眞理子

環境 NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network / CGN)代表。Kapi Tako Social Enterprise CEO。山岳地方の先住民が育てた森林農法によるコーヒーのフェアトレードを行う社会的企業Yagam Coffeeを運営。

 コーディリエラ・グリーン・ネットワーク  https://cordigreen.jimdofree.com/