3月のコロナウイルス の感染拡大によるコミュニティー防疫の実施で物流が制限され、大きな影響を受けていたベンゲット州の野菜農家。廃棄せざるを得ない野菜の写真がSNSで出回るなどして、困窮する農家の状況が伝えられてきた。保守的な山岳部の自治体では自主的に人と農産物の移動を制限してきたところもあったが、いよいよ経済的に立ちゆかなくなり、農務省CAR (Cordillera Administrative Region) も野菜価格の暴落で生活が困窮する野菜農家救済のために農業組合を対象に2,000万ペソの補助金予算を計上するとともに、マニラ首都圏への販売サポートを継続している。ベンゲット州都ラ・トリニダード町の卸売市場も徐々に元の活気を取り戻しつつある。コミュニティー防疫の下での半年間に野菜農家が直面した困難と、新たに誕生した野菜流通ソーシャルビジネスをレポート。
行き場を失ったベンゲット産の野菜
バギオ市のあるベンゲット州の人々のおもな収入源は農業だ。キャベツ、ジャガイモ、白菜、ニンジン、サヨテ(ハヤトウリ)などの野菜の卸売りで生計を成り立たせている。仲買人がトラックを仕立てて、コミュニティーまで出向き、野菜を集荷し、ベンゲット州の州都ラ・トリニダード町の卸売市場(Trading Post)に運ぶ。そこで野菜はマニラの仲買人に売り渡される。マニラの人たちの食生活をベンゲット州の野菜栽培が支えているのだ。農務省によると、フィリピン国内で消費されている高原野菜の80%がルソン島北部山岳地方で生産されている。ベンゲット州の農家だけでなく、フィリピンの食糧生産の大きな部分をベンゲット州とコーディリエラ山岳地方の野菜生産が担っているといえるだろう。
農家が生産した野菜の卸売はラ・トリニダード町の2つの卸売市場で仲買人に売り渡され、マニラへ向かう。ラ・トリニダード町が運営する卸売市場 La Trinidad Vegetable Trading Post(LTVTP)は、人も野菜もびっしりで身動きが取れないほど混雑する。また、山岳地方の野菜産地から集荷するトラックと、マニラへ配達するトラックが出入りする卸売市場は感染拡大のプラットフォームになりかねない。ラ・トリニダード町は、3月のコミュニティー防疫開始後、間もなくLTVTPの一時閉鎖を決めた(3月25日)。
フィリピンの食生活の一端を担うベンゲット野菜の流通がいきなり止まったのだ。ご存じのように野菜にはふさわしい収穫時期、食べ頃の時期がある。農家は入念に栽培スケジュールをたてて種をまき、野菜を育てる。1日でも収穫の日がずれると売り時、食べ時を逃す。
数カ月前に種をまいた野菜は成長を待ってはくれない。保守的な山岳地方のコミュニティーでは感染の流入を恐れ、それぞれの自治体が独自に厳しい移動制限を発令した。3月の卸売市場の閉鎖は4日間だったが、たった4日間でも卸売市場の機能が止まると農家は膨大な量の野菜の売り先を失った。
マニラの動向で上下する野菜の価格
消費者のための食糧確保と農家の生計維持を使命とする農務省CAR(Cordillera Administration Region)は、3月のロックダウン(州境、町境を越えた通行禁止)後、急ピッチで農家の移動許可証の発行のための手続きを始めた。新感染症対策省庁間タクスフォース(IATF /Inter-Agency Task Force ) カードと呼ばれる医療関係者などに発行される特別移動許可証は、コーディリエラ地方では農家を含む農業関係者へも発行されることになり、6月26日までに14,831枚のIDカードが発行された。農家が外出制限によって畑に行くことができなくなり、食糧生産に支障をきたさないためだ。食糧運搬のためのフードパスも6,031枚 発行された。
しかし、卸売市場が再開し、自治体や農務省のサポートで山の村から野菜が何とか届いても、卸売市場では買い手がいない状況が待っていた。最大の野菜の消費地であるマニラの野菜の需要が大きく減少したのだ。感染が拡大してコミュニティー防疫によりホテルやレストランは休業を余儀なくされ、イベントは大きな展示会・見本市から親戚・家族の集う結婚式、家庭での誕生日パーティに至るまですべて中止に追い決まれた。ラ・トリニダード町の卸売市場の周辺に列をなしていた大型の野菜運搬トラックは見事に姿を消した。
農務省CARは運搬手段を失った山岳部の農家のために、野菜農家とマニラの消費者と直接つなぐ「Kadiwa-Express」と名付けたプロジェクトを開始。仲買人や卸売市場を介さずに、農業省が買い手を探し、コミュニティーから買い付けた野菜を直接運搬するという支援を始めた。買い手は、個人、貧困層などのサポートをしているNGO、慈善家などだったそうだ。支援を受けた農家は3,991人。837.37トンの野菜を販売に結び付け、2247万2,562ペソの販売益を上げたという(農務省CAR)。
頼みの綱の隣の大観光地・人口約38万のバギオ市でも厳しい外出制限が行われていた。庶民の胃袋を支えてきたパブリック・マーケットは、強化されたコミュニティー防疫(ECQ)が布かれていた3月18日から5月15日までは、食糧や医薬品などの店以外は休業を余儀なくされた。野菜の販売店などもほそぼそと開店していたものの、市民全員が持たされたマーケットパスでは当初は週2日のみ、家族に1人しか外出して市場に行けなかった。しかも市場の中に入るにはソーシャルディスタンスを保つため長い行列ができた。そして、なによりもあの喧騒と混雑をよく知っている市民自身が、外出し、市場に行くのを恐れた。9月初めから街中のショッピングモールはパスなしで入場できるようになったが、市場はマーケットパスによるスケジュール制がしかれたままだった。ようやく9月後半に入ってスケジュール制度はなくなり、パスの提示は必要だが、いつでも必要なときにマーケットに買い物に行けるようになった。
9月中旬には「売り上げゼロの日もある」と暗い顔をしていた1980年代から小さなストールを営む女性は、「10月に入って少しは人が増えてきた」と話してくれた。バギオ市では10月1日から観光客の受け入れが始まったが、イロコス州など近隣の州からのみで、オンラインによる事前登録制。人数も1日200人までに制限されていて、指定された観光地にしか行けないことになっている。市場にお土産の新鮮な野菜や手工芸品を求めて観光客が戻ってくるのにはまだ時間がかかりそうだ。
市場の野菜の価格は驚くばかりの低価格。それでも人はマーケットに戻ってこない。
フェイスブックへの一通の投稿から始まった社会的野菜ビジネス
農家の苦境を支援したいと立ち上がったのが、エース・ストラーダと妻のアンディーだ。2人はバギオの住宅街で大きな自宅を改装してコワーキングスペースとフードトラックパークを営業していた。敷地の一角にはウェブサイトの制作会社も構え、コワーキングスペースはバギオの旧家ならではのゆったりした心地いい空間と速いインターネット環境が売りだった。しかし、感染拡大で休業となった。
「きっかけは、一通のフェイスブックの投稿を見たことでした」とエースは言う。「その投稿にはベンゲット州の野菜農家が丹精込めて作り、コミュニティー防疫下で苦労して運んできた野菜の売り先が見つからず、廃棄されたり無料配布されたりしている写真が掲載されていました。6,000人以上がその投稿をシェアし、コメント欄には支援したいという声が何百も寄せられていました。私もその1人でした」。
エースはすぐに行動を開始する。野菜の売り手が見つからない農家を探し出し、コンタクトを取り適正な価格で買い取ってマニラへの輸送を始めた。得意のオンラインを駆使して野菜の買い手を探し、マニラでは農民に支払った価格に輸送費を加えただけの価格で販売した。「警察や軍の厳しい検疫所をスムーズに通過するために、政府のトラックを借り、時折、軍のトラックを使うこともありました」。
かつてない状況に途方に暮れる政府系機関を尻目に、エースたちが最初にマニラに野菜を運んだのは4月7日。その後、1カ月もしないうちに20トンの農産物をベンゲット州から消費者のもとに届けることができたという。彼らは自分たちのことを「アクシデンタル・ベジタブル・ディーラー」(偶然に野菜商人)といって笑う。
エースの野菜販売は、買い手のいない野菜を買うことで農家を支援すると同時に、マニラの貧困層に無料の野菜を配って感染拡大時の貧困層の支援も同時に行うという社会的な意義も考慮したものだ。さすが、ネットの世界を熟知するエース。フェイスブックを駆使し、農家側の情報をこまめに発信し、消費者や再販業者を惹きつけた。
野菜販売に素人のエースだからこそ、常識はずれの販売方法も数多く登場した。個人消費者向けには仕入れた野菜をロットごとに価格を決めてフェイスブックでSNAP BUYと名付け、「早い者勝ち」で販売している。購入希望を表す「Mine」と書き込んだ人の数が、用意したロット数に至ったら売り切れとなる。買い手はオンラインの銀行振り込みなどで支払いを素早く済ませる。
「クレートホープ(Crate Hope)」と名付けた、野菜販売と貧困地域への寄付を結び付けてクレート、すなわち大きな野菜かご単位での販売も始めている。1クレートを999ペソで購入すると、クレートいっぱいの10キロの新鮮な野菜やフルーツが購入でき、さらに10キロの野菜が貧しいバランガイへ寄付される。
「クレートトラスト(Crate Trust)」という、いわば「お任せセット」もある。どこでどんな野菜や果物が売り先がなく農家が困っているか予測がつかないことから、エースたちが野菜の集荷に行く前にクレート単位の前払い金999ペソを払ってもらう。そして買い付けの旅で仕入れられた最高にフレッシュでおいしい果物や野菜を詰め合わせで届けるという野菜と果物の前払いシステムだ。クレートに入れて大きなロットで売ることで、手間とコスト削減も実現している。
さらに「Ton of Life」というトン単位での卸販売も開始し、マニラで新たに野菜販売ビジネスを始める人を大募集している。こちらも1トン野菜を購入したら1トンを寄付できるという仕組みだ。
野菜かごを作るバスケット職人への支援と、運搬梱包用のプラスチックを減らすためのプロジェクト「Give Baskets」や、「観葉植物の代わりに野菜を育ててみよう」という「Edible Landscape」という野菜の苗、土やたい肥などのパッケージ販売もメニューに加わった。サポートする野菜農家もベンゲット州や近隣の州だけでなく、その他の州にも広がり、扱う野菜や果物の種類もみるみる豊富になった。アイデアマンのエースは、野菜農家や卸業者が思いもよらなかった野菜販売ビジネスの手法を次々と編み出している。
実はベンゲット州の野菜の販売は、以前から大きな問題を抱えていた。山岳地方の経済の基幹である野菜の栽培だが、価格は卸売り業者次第。生産者である農家には儲けがいきわたらない。一方、自然災害があったときはその損失も農家が負わなくてはならない。地方政府や農務省は農家の利益を守るために、さまざまな策を講じてきたが、なかなか新しい一歩を踏み出させないでいた。だが、農家はこの感染症流行によって、初めて買い手と直接ビジネスをする機会を得た。今まで生産面での支援を主に行っていた農務省も本腰を入れ、買い手リストを作成し、買い手と直接取引をしたい農家との橋渡しに乗り出した。図らずも卸売業者にコントロールされていた野菜販売のサプライチェーンに、コロナ感染拡大が風穴を開けたと言えるかもしれない。
〈コーディリエラ地方の野菜を購入できるオンラインショップ〉
Rural Rising
https://ruralrisingph.com/?fbclid=IwAR0KhrtCoM8Xyvmh0Of58tiyS7adEktPh2XmxIHFoChj54jPqGtkYjDnM1A
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Session Groceries
https://www.sessiongroceries.com/
https://web.facebook.com/sessiongroceriesph
※アプリもあり。
Sagada Harvest
https://web.facebook.com/sagadaharvests
Good Food Community
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環境 NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network / CGN)代表。Kapi Tako Social Enterprise CEO。山岳地方の先住民が育てた森林農法によるコーヒーのフェアトレードを行う社会的企業を運営。
Yagam Coffee オンラインショップ https://www.yagamcoffeeshop.com/
コーディリエラ・グリーン・ネットワーク https://cordigreen.jimdofree.com/