みなさん、こんにちは。Kumusta kayo? このコラム「フィリピノ・ワールド」は今回で連載100回目を迎えました。いつも楽しみにしてくださっている読者の皆様のおかげです。今回は「100」にまつわる話をお届けします

 

フィリピン語の「100」は?

 フィリピン 100はフィリピン語でisang daanと言います。「1」はisa、「100」はdaanで、isang daanで100を表します。同様に「2」を表すdalawa にdaanが付けば200を表すdalawang daan となります。でも100ペソ札を見ると “isang daang piso”ではなく “sandaang piso”と書いてありますね。sandaanはisang daanの初めのiが省略されてisa(1)とdaan(100)がくっついて一つの言葉になったものです。言葉と言葉をつなぐ繋辞(けいじ、またはリンカー)と呼ばれる-ngは、1つの語の中ですぐ後ろに来る音が歯や歯茎の裏側について発音されるDやLの場合、その発音のために舌がその場所に移動するので-ngが-nになるのです。
 ちなみに1967年から2024年末まで、旧100ペソ札に描かれていた人物はマニュエル・ロハス元大統領です。独立準備政府「フィリピン・コモンウェルス」の最後の大統領になり、アメリカからの独立後の第三次共和国の最初の大統領になった人です。2024年12月から新デザインのポリマー紙幣が発行され、現在の100ペソ札にはパラワン島固有種のパラワンコクジャク(パラワン小孔雀)が描かれています。

 

 

フィリピン人が100歳になると?

 フィリピンには、国民が100歳になると政府から10万ペソの祝い金をもらえるという法律「センテナリアン法 (Centenarian Act) 」があります。センテナリアンとは100歳になった人のことです。2016年にできたこの法律が、昨年新たに「拡大センテナリアン法 (Expanded Centenarian Act) 」として制定されました。この法律により、国民が80歳の誕生日を迎えると政府から1万ペソの祝い金が支給され、その後95歳まで5年ごとに1万ペソが支給されることになりました。フィリピンと日本の総人口は日本の方が若干多い程度ですが、日本では2024年に80歳以上の人口が1200万人を超えたのに対し、フィリピンの80歳以上は2023年で約81万人。センテナリアン法は若年人口が多い国だからできることなのでしょうが、今後フィリピンも健康寿命が延びてくると、祝い金を出していられなくなる日も来るかもしれませんね。

 

100年前のフィリピンでは?

 今から100年前の1925年、マニラで第7回極東選手権競技大会が開催されました。同大会は1913年から2年に1度開催され、フィリピン、日本、中華民国が参加しています。マニラで開催された第1回大会以降、100ヤード走と220ヤード走ではフィリピンのフォルチュナート・カタロン選手が連戦連勝して、「アジアで一番速い男」と呼ばれていました。グリコの「ゴールインマーク」は1921年に最初のデザインが作られていますが、そのモデルとなった陸上選手たちの中にはカタロン選手も含まれていたという記録が残っているそうです。

 


 ずっと金メダルを取り続けたカタロン選手ですが、1925年の第7回大会では、100m走では優勝したものの、200m走では同じくフィリピン人のネポムセノ選手に負けて2位となり、その年に引退しています。
 この10年後の1935年にはフィリピン独立準備のためのコモンウェルスが設立され、1941年には第2次世界大戦が始まります。こうしてみると、今年100歳を迎える方々は本当に激動の時代を生きてきたのだなぁと思います。
 今回は「フィリピノ・ワールド」連載第100回を記念して、100にまつわる話をお届けしました。これからも「フィリピノ・ワールド」はさまざまなキーワードを通してフィリピンの文化や社会を見つめていきたいと思います。Maraming salamat po! (どうもありがとうございます!) そしてこれからも応援よろしくお願いします。

 

 

 

 

文:デセンブラーナ悦子 日英・タガログ語通訳。大阪外大(現大阪大外国語学部)フィリピン語科卒。最近の楽しみは出張をより快適にするアイテムを集めること。

Twitter:フィリピン語ミニ講座@FilipinoTrivia