以前、フィリピンのとある国立大学で講師をしていた筆者。そこは日本では考えられないほどのおおらかさと妙な厳しさが同居する、不思議と居心地のいい空間だった。
子連れの学生
筆者が働いていた2019年ごろは20歳で卒業する学生が結構いた。フィリピンでは小学校6年、中学校4年に加え、2016年から高校2年を追加する新学制が導入されている。筆者が働いていた2019年前後は移行期に当たっていたらしい。
学生も多様だ。すでに子どもを持っている学生が幼な子をキャンパスに連れてくることもしばしば。中には15歳で出産し、結婚はせずに子どもは実家で面倒をみているという学生もいた。他にも中東に出稼ぎに行く期間は休学し、フィリピンにいる時は復学するという学び方をしている学生も。20代後半、30代半ばの学生も珍しくない。
子どもを連れてくるのは学生だけの特権ではなく、教員も職員も同じだ。学科長室に入ると学科長の2人の子どもがフライドポテトをつまみながら算数の宿題真っ最中ということもあった。ところで、フィリピンの算数の教科書は小学生でも英語で書かれている。「分かるか」と声を掛けられ見てみると、なんだか高校数学に出てくるような集合の記号が。英語的にも数学的にも完全にお手上げだ。言葉で説明するより記号で説明したほうがいいということで早めに数学記号を教えるのだろうか。
着替え必携、備品は自腹?
勤務先の大学は創立100年を超えており、メインキャンパスは年季が入っていた。教室にエアコンはなく、申し訳程度に据え付けの扇風機が回る。イスと机は一体化した融合型。働く前、他の先生に着替えのTシャツを用意するよう助言を受ける。授業をしている間に汗だくになるからだ。さらに、気をつけないといけないのはチョーク、黒板消し、ホワイトボードマーカーは自前で用意しなくてはならないということ。最初の授業ではそれを知らず、教壇の中にあるチョークのかけらを用いてしのいだ。
アットホームな講師室
教室と違って教員の詰め所にはエアコンがガンガンに効いている。さらにソファーがあり、テレビもある。3時間の授業を終えてクタクタになった教員らはとりあえずここで着替えをし、次のコマまでソファーで仮眠を取るか、食事を取りながらおしゃべりするか、スマホゲーム「モバイルレジェンド」に熱中する。学科長先生が自分のオフィスを離れ、講師室で太鼓腹を上下させて熟睡しているのはいつもの光景だ。
我がボスの学科長先生は親分肌で、ミリエンダ(おやつ)時間にはティナーパイ(パン)をどっさり買ってくる。他にも誰となくルンピア(春巻き)やフライドポテトを買ってきて、食べろ食べろと勧められる。
お言葉に甘えてルンピアを食べていると、ある先生が「ルンピアはフィリピンのナショナルフードだって知ってたかい」と聞いてくる。ルンピアは中国の福建省伝来ではなかったかと思っていると「フィリピンは既に中国の1州になっているから中国料理はナショナルフードさ、ハハ!」と一笑。その当時、南シナ海で中国船にフィリピンの漁船が転覆させられたのに、大統領が中国に抗議しなかったことが問題になっていた。当時ルームシェアしていた若手講師は「ドゥテルテ大統領は自国民には剛腕を振るうけど、中国の習近平国家主席に対しては犬に成り下がっている」と不満を口にしていたのを覚えている。
合言葉はワラン・ペラ
仕事をするうえで大切なものは何か。いろいろあるが、その一つは間違いなく給与だ。しかしこの大学で非常勤講師が給料をもらうには「チェッカー」と呼ばれる男たちが立ちはだかる。
彼らは3時間授業の最中にランダムなタイミングで現れ、授業をちゃんと行っているかをチェックする。チェッカーが教室を巡視したとき予定通り授業が行われていなかったら、各学科の講師室に違反切符的な紙切れが届く。ただし、これで減給確定ではなく、違反切符が届いて数日以内に余儀ない理由で休講したとの証拠書類を提出すれば、給料をもらえるチャンスは残る。もちろん、その書類を認めるか認めないかは事務方の裁量だ。筆者が書類を届けたとき、事務職員は意味ありげな笑顔で「to be paid? or not to be paid?」などとハムレット風のセリフで書類を受領した。その時、私が休講した理由はコロナ絡み。その1週間後くらいに防疫規制の本格強化が始まり、運良く給料はいただけた。
しかし、大学の金払いの悪さは講師室でも悪評高かった。ある先生は「フィリピン語の挨拶を教える」として、「『クムスタ・カ?』(元気ですか)と聞かれた際は『ワラン・ペラ~』と返事せよ」と教えてくれた。ワラン・ペラとは「お金がない」という意味である。
(竹下友章/まにら新聞記者)