昨年5月1日まで、まにら新聞のオフィスは、リトル東京エリアにあるローカルショッピングセンター、マカティ・セントラル・スクエアのオフィスビルにあった。6年前にフィリピンに来たときは、マカティ・スクエアという名前だったが、一般には圧倒的にマカティ・シネマ・スクエアで通じることが多かった。タクシーにマカティ・スクエアまでと伝えても、「マカティ・シネマ・スクエアだな」と確認されることが多かった。あのあたり一帯がマカティ・シネマ・スクエアとなる以前、チノロセス通り側にはプラザフェア(Plaza Fair )というデパートがあったそうだ。
 
 

 

確かにあったプラザフェア (Wikimedia commons  Judgefloro, CC0 1.0 Public Domain Dedication)

 
 
 
 
 
 コロナ禍前に改装された時期に伴い、マカティ・セントラル・スクエアとなって今に至るが、どの程度まで浸透しているかはわからない。銀行のBDOなどは今もマカティ・シネマ・スクエア支店のままだ。
 
 
 
 自分の生活圏にあるマカティ・セントラル・スクエアだか、会社が移転してからはほとんど行かなくなった。先週末久しぶりに行き、中を歩きまわって見たところ、コロナ禍を経て変わったところもあれば、変わらないところもあった。飲食店、スーパーマーケット、スマホショップ、両替、古着屋ウカイウカイ、銃砲店まである雑多感は変わっていない。
 
 

フィリピン料理アイダズ・チキン(Aida’s Chicken)と、1982年創業の中華料理店エマーズ(EMER’S)も健在。

 

 
 

2階にゆっくりくつろげるスペースが登場。「No Sleeping」の標識があるが、眠っている輩もちらほら。いちゃついてるカップルもいたので「No PDA 」の標識も立ててはどうか。

 
 
 地下階のスーパー8があるフロアに、プラカ・プラネット(Plaka Planet)と言うレコード屋を見つけた。マカティに中古レコード店があったとは。私が最後に中古レコード店に入ったのは、はるか昔のお茶の水のディスクユニオンだったろうか? プラカは、タガログ語でレコード盤のことで、最近オープンした店と思っていたら、スタッフによればもう2年になるという。日本ではレコードの復権という話題を聞いたこともあるけれど、フィリピンでもコロナ禍でレコードで音楽鑑賞をする人が増えたそうだ。この店では、レコードプレーヤーも扱っている。「テクニクスのプレーヤーがあるよ」と言われてもピンと来なかったが、「おおお! あのテクニクスか!」と思い出した。
 
 
 
 

右は「We are the World 」の日本盤。サントラコーナーには「フラッシュダンス」や「フットルース」があって懐かしかった。

 
 
 アース・ウインド・アンド・ファイアーの「ファンタジー」が流れる店内で、棚に入った洋楽のLP(懐!)をパタパタめくる。中には、なぜか洋楽LPの日本盤もある。東京の中古レコード店には軍手をはめてLPを探している人がいたなと思い出す。
 
 
 
 ディラン・ディラン(ニューロマンティックですね!)やELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ!)のジャケットを見ていると、いわゆる校内暴力世代真っただ中の、田舎の中坊だった頃を思い出す。しぶりに訪れたマカティ・セントラル・スクエアを懐かしく思っていたら、とんでもなく懐かしいものに出会ってしまった。(W)