会社があるマカティ市のビルの入口で毎朝、通勤客を迎えてくれる猫がいる。飼い猫ではなく野良猫で、それほど愛想がいいわけでもないが、猫好きとしては元気な姿を見るとほっとする。その猫はビル入口のロビーでくつろいでいたり、近くの韓国焼肉レストランの前に座って誰か肉をくれないかなと待っていたり。おなかをすかせているのだろうとは思いつつも、エサをやることは控えていた。
ある朝、常駐している警備員さんの机でその猫が寝ている。かわいがられているようで、安心した。四足歩行であろうがマスクとフェイスシールドをしていない者は締め出す、ということはないようだ。そして警備員さんがエサや水を与えてくれている。聞くと2歳のメスの三毛猫だという。避妊手術を受けた印に、耳の先が切られていた。
名前はまだない。おそらくこの先もないだろう。なので、私は覚えたてのタガログ語で「aso、aso)」と呼び掛けた。しかし、反応がない。キャットフードを買って警備員さんに渡したのに、不愛想な奴だと思いながら、会社に戻った。タガログ語で猫はプサ(pusa)だった。私のタガログ語の能力に思いやられる。ASO、犬、犬と呼びかけられた猫が気の毒だ。
しかし、考えてみればこの猫は幸運である。通勤途中に数匹の野良猫を見るが、ちゃんと生きていけるのだろうか。家に連れて帰りたくなる時もあるが、無責任に飼うことはできない。ネズミもよく見るので、ちゃんと狩りができれば食事はできると思うのだが。
フィリピンでは、歩いていて黒猫に出くわすと不吉と言われる。フィリピンに限らず、こんなふうに黒猫が世界的に忌み嫌われることがあるのは、やはりエドガー・アラン・ポーの小説『黒猫』のせいなんだろうか。ちなみにベトナムでは猫の鳴き声が、ベトナム語で貧しいという言葉の響きに似ているとかで猫が好まれないという話を聞いたことがある。それなのに、十二支でウサギの代わりに猫が入っているのは不思議だ。
ところで、マニラには何軒か猫カフェがあったのだが、コロナ禍の中、大丈夫なのだろうか。以前行ったことがある猫カフェはコロナ禍の前に閉店してしまっている。コロナ禍が終わったら、猫カフェを探してめぐってみたい。それまでは、警備員さんのところにいる猫を愛(め)でていよう。ビルの入口には、手をかざして体温を測る検温スタンドがある。いつかこの猫の肉球を検温計にかざして体温を測ってみたいものだ。(T)