スルタンを継承
真の統治者誕生
ミンダナオ地方中部マギンダナオ州の第7代スルタン(イスラム世界における「支配者」「権力者」「権威」のこと)、スルタン・クダラット。本名をムハンマド・ディパトゥアン・クダラットといい、13~14世紀の間にミンダナオ地方にイスラム教をもたらしたマレー・アラブ人貴族、シャリフ・カブンスワンの直系の子孫である。名前の「ディパトゥアン」はマレー語で「統治者」や「所有者」を意味し、その名の通り現在の北ラナオ、南ラナオ、マギンダナオ、コタバト、南コタバト、スルタンクダラット、サランガニ、サンボアンガシブガイ、南サンボアンガの9つの地域のイスラム教徒を統治した。
スルタンの地位に就いたのは、39歳の時。もともとマギンダナオのスルタンであったクダラットの父が亡くなったのをきっかけに、地位を受け継ぐこととなった。その後クダラットが52年間にわたって統治し続けた時代がマギンダナオのスルタンの全盛期であったといわれる。
スペインの侵略に
立ち向かう英雄
当時すでにビサヤ地方とルソン地方を掌握していたスペインの勢力は、ミンダナオ地方にとって脅威だった。クダラットは、同盟関係にあったスールーのスルタンとともにビサヤのスペイン支配者へ組織的攻撃を仕掛け、1634年にスペインにとって重要な拠点だったレイテ、ボホール、ダピタンの侵略に成功。それに対しスペインはサンボアンガを侵略し、1635年に港が築かれた。
クダラットは1637年、スペインとビザヤ・ルソンの先住民たちによる攻撃を受け、腕に被弾しながらミンダナオ島北部プランギへと逃れて、拠点をそこへ移した。のちに一部のイスラム教徒がスペインに協力していたことを知ったクダラットは仲間のイスラム教支配者たちを招集し、自分側に取り戻そうと熱弁を振るい、裏切りについて説いた。結果としてイスラム教徒たちはスペイン勢への協力をやめ、1642年にクダラットが再びスペインと先住民の勢力に攻められたときには、相手を制圧し、指導者を捕らえることにも成功した。
その後クダラット陣営とスペイン勢の戦いは続いたが、クダラットの影響力の強さやスペイン側もマニラを中国の侵略から守ることを優先しなければならなかったことなどから、クダラットが亡くなる1671年までミンダナオ地方は制圧されなかった。なお、ミンダナオ地方スルタンクダラット州の名前は、この英雄クダラットに由来する。
(初出まにら新聞2024年3月5日号)