先頃行われた東京オリンピックでのフィリピン人選手の活躍はまだ記憶に新しい。獲得したメダル4個のうち、フィリピン史上初の金メダルは重量挙げで、あとの3つは男女ボクシングの銀2個、銅1個だった。これまでフィリピンがオリンピックで獲得したメダルは計14個あり、そのうち8個がボクシング。1964年の東京オリンピックでもフェザー級でアンソニー・ビラヌエバが銀メダリストになっている。日本の柔道などと比べるのは大げさかもしれないけれど、ボクシングはオリンピックにおけるフィリピンのお家芸といえるのではないだろうか。
アジア初の快挙はフィリピン人
ご存知の通りプロボクシングにおいても、8階級を制覇したマニー・パッキャオをはじめ、ノニト・ドネアやジョンリル・カシメロといった現役のフィリピン人世界王者が活躍している。彼らが登場する以前も、1960年代のフラッシュ・エロルデなど、ボクシングの歴史に名を残すフィリピ人ボクサーがいた。そして、何を隠そう、アジア初のプロボクシング世界チャンピオンは、フィリピン人なのである。西ネグロス州出身のパンチョ・ビラ(Pancho Villa)が1923年、イギリス人のジミー・ワイルドに勝ち、フライ級王座に就いた。日本人初の世界チャンピオンは1952年の白井義男なので、それより約30年も前に世界チャンピオンがフィリピンにいたのだ。
ファンの聖地がケソン市に
ボクシングファンにとって、マニラは「聖地」と言うべき都市だ。なぜなら、モハメド・アリ対ジョー・フレージャーの世界ヘビー級タイトルマッチ「スリラ・イン・マニラ(Thrilla in Manila) 」が行われた地だから。マニラという地名は、この伝説の一戦で世界に知られ、記憶されていると言ってもいいと思う。アリは1960年ローマ、フレージャーは1964年東京五輪の金メダリストでもあった。1975年10月1日にこの試合が行われたケソン市のアラネタ・コロシアムと、そこから徒歩圏のモハメド・アリにちなんだ商業施設「アリモール」を訪れるのは、ボクシングファンにとって聖地巡礼である。2025年にはスリラ・イン・マニラ50周年イベントを期待したい。
今回のオリンピックでのボクシングの盛り上がりを生かして、海外からマニラへの旅行誘致につなげてはいかがだろう。日本へ世界からアニメファンが訪れるように、マニラにボクシングファンが訪れるようになればと思う。(T)