みなさん、こんにちは。Kumusta kayo? 今年の7月18日、政府系投資ファンドMaharlika Investment Fund (マハルリカ・インベストメント・ファンド) 設立法が成立しました。このファンドは政府資産などの運用により政府の増収と経済成長の加速を目的としていますが、原案では公的保険や年金の基金が原資となる予定だったことや、資金の流用などの汚職が懸念されるとして審議が重ねられました。最終的には公的保険や年金からの資金調達は行わないとする法案が上院で可決され、マルコス大統領の署名に至りました。ところで、この「マハルリカ」とは一体どういう意味でしょうか。以前もこのコラムで触れたことがありますが、詳しく見てみましょう。
抗日ゲリラ部隊
マルコス家と「マハルリカ」の関係は第二次世界大戦に遡ります。現大統領の父であるフェルディナンド・マルコス元大統領は、第二次世界大戦中に抗日ゲリラ部隊を率いて戦い、その部隊の名称が「マハルリカ」で、自身のゲリラ名も「マハルリカ」であったとして米軍に認定を申請していました。しかし後に歴史学者が米国公文書館から入手した書類によると、そのような部隊が日本占領下で米軍に貢献した記録はないとして認定されなかったことが公表されています。
新しい国名?
マルコス元大統領の政権下において、フィリピンの国名はスペイン国王「フェリペ」の名に由来するため、「マハルリカ共和国」に変えることが提案されました。マルコス元大統領は「マハルリカ」は「昔の高貴な人を指す言葉だ」と賛同していましたが、議会が承認しませんでした。さらに2019年になってドゥテルテ前大統領も「マルコス(元大統領)は正しかった」「マハルリカは平安と平和を示す言葉」だとして国名を変更する案に賛同していましたが、こちらも立ち消えとなりました。
3つの名を持つ縦貫国道
マルコス元大統領の前任者であったマカパガル大統領の時代にインフラ事業として整備が開始されたフィリピン縦貫国道システムは正式名称を“Pan-Philippine Highway”と言いますが、マルコス元大統領がこの事業を受け継ぎ、一部日本のODAを受けて完成したため「日比友好道路(Philippine-Japan Friendship Highway)」とも呼ばれています。1978年に完成するとすぐ、「マハルリカ・ハイウェイ」と改名されました。その後、ラモス政権で日本のODAを用いた修復工事が行われたこともあり、現在でもこの3つの名称が混在しています。
「マハルリカ」とは
このようにマルコス元大統領が好んで使った「マハルリカ」は、実はスペイン渡来前のフィリピンの階級の1つでした。最上層はMaginoo(マギノオ=「高貴な人」の意)階級で、その階級出身でなければ族長Datu(ダトゥ)になることができませんでした。最も下の階級は借金の返済のために労働する奴隷Alipin(アリピン)で、その間には自由人である平民Timawa(ティマワ)という階級がありました。マニラ近辺のタガログ地域では平民階級の中に、仕える相手を自由に決めることのできる戦士階級があり、それが「マハルリカ」なのです。ですからマルコス元大統領の言う「高貴な人」もドゥテルテ元大統領の言う「平安と平和」も、どちらもマハルリカを指すものではなく、誤った解釈に基づいているのです。
いずれにしてもマルコス現大統領は「一家の汚名を払拭するために政治家になった」と発言しているのですから、「マハルリカ」の名を冠した政府系投資ファンドがクリーンに運用されることを願わずにはいられませんね。
文:デセンブラーナ悦子 日英・タガログ語通訳。大阪外大フィリピン語学科卒。在学中にフィリピン大学に交換留学。フィリピン人男性と1992年に結婚後マニラ在住。