Baguio Historical Walk Art Map: Baguio City in 1930's

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2017年3月18日

戦前の日本人移民ゆかりの街を紹介する、
「バギオ歴史探訪アート・マップ」の完成まで

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「バギオ歴史探訪アートマップ」。1枚120ペソ。バギオ市内の書店「Mt. Cloud Bookshop」で販売。縦42センチ、横59センチ。8つ折りで広げると両面地図になる。裏面には現在のバギオ市街が描かれている。


小国秀宣(北ルソン日本人会代表)logo
 
「バギオ・ボーイ」との出会いがきっかけに
この歴史探訪マップを作るきっかけとなったのは、戦前のバギオ市にあったバギオ日本人学校の同窓会のメンバーである横浜在住の写真家古屋英之助氏(81)=横浜市在住=に、バギオ市の日系人会(北ルソン比日基金、通称アボン)でお会いしたことでした。
古屋氏はバギオ生まれの「バギオ・ボーイ」で、終戦当時は9歳、バギオ日本人学校の小学生でした。その父古屋正之助氏(1964年没)は1918年にマニラに渡り、21年には写真館で働くかたわらフィリピン大学の美術学部で学び、その後バギオ市の目抜き通りにあったジャパニーズ・バザールの写真館の主任写真技師として勤務しました。当時の大統領アギナルドやキリノ氏とも友人関係であったことはナビ・マニラの「バギオ物語」の中でも詳しく掲載されています。
英之助氏は、戦前の美しいバギオ市の街並みや当時大いに繁栄していた日本人コミュニティーのこと、そしてその全てを破壊した悲惨な戦争のことなどを語り、父正之助氏などが残した戦前の写真を見せてくださいました。また年に一度くらいバギオ市へ「帰省する」折りには、バギオ市内を一緒に歩きながら、今は失われた当時の日本人ゆかりの場所などを教えていただきました。
バギオ邦人社会の歴史的遺産を次世代に
1938年(昭和13年)当時には、日本人学校の生徒数は152名、日本人会の会員は320名、バギオ周辺の在住日本人はおよそ1000名と記録にあります。現在の地元バギオの人々からもなかなか聞くことのできない貴重な記憶を、なんとか次の世代に残すことはできないだろうか、そしてバギオ市の歴史的遺産を保存し、活用し、バギオ市のユニークさを大きな宝物として地元の若者たちや観光客の皆さんにアピールできないかと考え、アート・マップという形で残すことになりました。6年前の2011年、北ルソン日本人会の中の分科会として、資料や写真を集め始めました。
バギオアーティストが想像を交えながら街を再現
しかし、フィリピン大学バギオ校美術学部の卒業生や現役生と、どの建物をアートマップにするかを検討した際には、なかなか難しい問題がありました。資料や写真からバギオ市のどこに何がいつあったのかを特定し、どのような形の建物だったのかを確認することが困難だったのです。古屋氏からはいちばん美しかったバギオ市は1940年頃だと伺ったのですが、写真が無い為、写真や絵ハガキで残っている1930年代の街並みを、アーティストの想像を交えながら再現することになったのです。
2月22日にディストリビューターとして協力してもらうことになったバギオ市の「Mt. Cloud Bookshop」書店で、完成お披露目会が開催され、およそ20名の関係協力団体・個人の方々が出席。6年前に構想されたいきさつや目的、そしてバギオ博物館の理事からは、最近のバギオ市に於ける歴史遺産保存に関する動向、9カ月を掛けて制作・完成に至ったアーティストたちの苦労話などをご披露いただきました。
これからもこの繋がりを大切にしながら、バギオの歴史遺産を描くワークショップや絵画展などを企画検討していきたいと考えています。
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1930年代のバギオ日本人学校の運動会の様子 「Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands」収録


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平和だった戦前のバギオ邦人社会。バーナム公園の池でボートに乗る古屋正之助氏(左端)の一家


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完成した「バギオ歴史探訪アート・マップ」の販売記念会。市内の書店「Mt. Cloud Bookshop」で2月22日に開かれた(写真:小国秀宣さん提供)。


◎ Navi Manila Vol.31 より
 

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