昨年12月に新宿のK’sシネマで公開され、全国で上映中のドキュメンタリー映画『なれのはて』が話題になっているという。この映画は、マニラの貧困地区にひっそりと住む「困窮邦人」と呼ばれる高齢の日本人男性たちの姿を、監督の粂田剛さんが7年間の歳月をかけて追った作品である。

 

2020年東京ドキュメンタリー映画祭長編部門グランプリ・観客賞を受賞。フィリピンでの上映を期待したい。©Uzo Muzo Production

 

 

 「困窮邦人」は、元まにら新聞の記者の水谷竹秀さんが2011年に書いた「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる―困窮邦人」 が第9回開高健ノンフィクション賞を受賞したことで話題になり、その存在を知られるようになった。一般的に様々な事情で海外に移住し、これまたいろいろあって生活費を使い果たし貧困地域で暮らしたり、ホームレスとなっている日本人のことを指す。

 

 

 「困窮邦人」の書籍を読んだのはずいぶん前で、記憶もおぼろげだが、書籍では貧困で済む場所を失なった日本人を受け入れるフィリピン社会の懐の深さに焦点が当てられ読後にも救いがあったような気がする。しかし、このドキュメンタリー映画『なれのはて』に出てくる日本人たちの物語には、もちろん映像ならではのインパクトもあるが、「事態はここまできているのか」と少々絶望的な気持ちになった。

 

 

元在バギオの4人が鑑賞

 

 

 ここバギオにも、退職者ビザでの移住、長期滞在、日本と半々の生活、あるいは頻繁に短期滞在で訪れる日本人のおじさんたちがいる。2020年のコロナ禍で、「感染が落ち着くまではしばらく帰国する」という選択をした4人のおじさんたちが、昨年末のせわしい中で集まって『なれのはて』を観に行き、「バギオを語る会」を開いたという話を聞いて、映画の感想を聞いてみた。

 

 

 参加したのは、元駐日ベナン共和国大使館員でNGOボランティアとしてラ・トリニダード町に長期滞在するKさん、日比友好イベントの手伝いなどのためにたびたびバギオを訪問している大手企業の元会社員Mさん、米系企業の元バギオ駐在員で現在は北ルソン日本人会(JANL)の会長を務めるOさん、そして映画監督のIさん(今回は多忙にて感想コメントなし)の4人だ。以下、彼らが送ってくれた映画の感想である。

 

 

Kさん(68歳、 在比3年)「自分には多分出来ないだろうことやった人たちを見て、ある種の羨望と憧れを感じた。映し出されるのは、今の日本にはなくなってしまった狭い路地裏、車の通れない道、騒ぐ子供達の声、下着姿の男や女。そして、フィリピンにハマった男、日本にいられなくなった男、ピンクの夢に体を取られた男、日本に妻子を置き去りにした男たち。いずれフィリピンからも姿を消すかもしれない貧民街で、逞しくも肩を寄せ合う人々。彼らの住む環境は日本の社会的標語と言っていい「安心」「安全」の対極といっていいのだろうか? そこに住む住人は、貧乏人には優しいが、少しでも金があればキバをむく人たちでもある。そして、ケガや病気になれば、さようなら。

 

 映画の中で取材されていた4人のうち3人の方が亡くなり、残った方はカビテで新しい妻子に囲まれていた。登場人物の一人が日本に残した娘と数十年ぶりに連絡が取れて会話していたが、その後はどうなったのだろう? 良い方向にも行くかもしれないし、そうじゃないかもしれないと思った」

 

 

Mさん(72歳。2014年以来、短期滞在や英語留学で7回バギオ訪問):「私がバギオで知っている日本人たちとは、まったく異なった生活レベルの人達の話だった。フィリピンに限らず、海外に移住した日本人の中には、映画に出てくる人たちと同様の生活をしている人たちは少なからずいるであろうことは予測していたが……。ドン底の生活の中にあっても、今が一番幸せだ。と見栄ではなく、素直な気持ちで言っていたのには、救われた気がした」

 

 

Oさん(71歳。在比15年):「『なれのはて』というのは明らかにネガティブな意味のタイトルだが、映像はネガティブでもポジティブでもなく、丹念に撮られていると感じた。映画の登場人物は4人だが、不幸な生活・死に方と見えるのはその中の2人、他の2人は貧困の中でも幸せであるように見えた。

 

 

 私が15年間住んできたバギオ市においても、困窮邦人の例はあった。いちばん驚いたのは、日本でフィリピン人女性と結婚した男性が親の介護を十数年に渡って献身的にやってもらっていたが、親が亡くなってフィリピンに移住した後、フィリピン語も英語もできない男性は全財産を奪われ、放り出されたという話」

 

 

新宿で『なれのはて』鑑賞を楽しんだバギオを愛するおじさんたち。(左からMさん、Oさん、Kさん)

 

 

フィリピンは邦人擁護数世界一

 

 日本の外務省が発表している「海外邦人援護統計」(2021年12月発表)によると、最新データの2020年の数字で擁護件数の多い在外公館で、在比日本国大使館は第2位のタイを抑えて世界一。在比日本国大使館の擁護件数は1,355件、アジア全体では6974件(9448人)だそうだ。事故、災害、犯罪などに巻き込まれたケース、傷病や精神疾患、さらに遺失・拾得物、さらに所在調査なども含まれていてかなりの件数になっている。そのうちアジア地域で「困窮」のカテゴリーに記載されている人数は176件(194名)だ。そのうちのほとんどがフィリピンとタイと思われる。

 

 

 報告書では、「2020年は、新型コロナウイルス感染症で、海外渡航者数が大幅に減少したことから、邦人が当事者となる事故・災害、犯罪加害及び犯罪被害の件数は例年に比べ減少しました。その一方で、世界各地の日本国大使館・総領事館などにおいて、新型コロナの影響により出国が困難となった在留邦人及び渡航者の帰国支援や新型コロナ関連の情報発信等を頻繁に行ったため、援護件数は前年に比べ増加しました」とある。

 

 

バギオに戻りたい

 

 

 フィリピンの魅力にどっぷりとはまっている元バギオ在住の4人だが、映画を見てやはりマニラとバギオ(あるいはラ・トリニダード町)ではまったく事情が違うという印象を持ったようだ。4人が金銭的に困窮するかもしれないという不安はほとんどない環境にあることもある。

 

 

 映画鑑賞後の4人による「バギオを語る会」という名の飲み会では、「早くコロナが落ち着き、バギオに行けるようになって欲しいという件は4人の共通した思い」(Mさん)と、フィリピンとバギオへの思いは募る一方のようだ。

 

 

 Kさんは「毎日、YouTubeからフィリピンの情報を得ている。暗い話が多い中、バヤニハンと言う相互扶助のビデオを見てフィリピンを懐かしんでいる。フィリピンにいる時は当たり前にバナナを毎日食べていた。日本に帰ってからもスーパーで売られているバナナを食べても何だか食感が違う。フィリピンで食べていた時はおふくろの味的滋養を感じられたが、日本のスーパーのは別物のような気がする。いつになったら本当のフィリピンを味わえるのだろう」

 

 

 バナナを食べながらYouTubeでフィリピン情報を探すおじさんたちの姿を思い描くと、どこかほほえましくもある。渡航制限が解けたとたんに、飛んできそうな4人だ。

 

 

 

 バギオには、さまざまな言葉を話す先住民の人たちに交じり、マニラなどからビジネスのためにやってきた人たち、涼しい気候に惹かれて移住してきた米国の退役軍人たち、昔から経済の中枢を担ってきた中国系の人たち、そして、新興勢力と言っていい韓国人たちがいる。人口38万人程度のバギオは、今はまだこれら多彩な顔を持つ人々を温かく迎え入れる余裕がある。マニラに比べれば貧富の差も小さく、幸いにもマニラにあるような巨大なスラムも存在しない。

 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中で貧富の差は拡大しているという。『なれのはて』で描かれたようなドラマが、世界中で拡大しつつあるのだろうか? 世界はそれでも行き場を失った人たちを温かく受け入れる場所を提供し続けられるのだろうか?

 

 

 

 

反町 眞理子

環境 NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network / CGN)代表。Kapi Tako Social Enterprise CEO。山岳地方の先住民が育てた森林農法によるコーヒーのフェアトレードを行う社会的企業を運営。

Yagam Coffee オンラインショップ https://www.yagamcoffeeshop.com/

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