【北の町バギオから】ロックダウンは突然に。
外出禁止令あり、お酒販売禁止令ありの
ドタバタ体験記
「明日からロックダウンです」。面白い冗談だな。最初はそんな風にも思った。しかし、面白くもなんともない真実だった。鮮明に覚えているが、3月17日からバギオのロックダウンが突如開始された。
バギオに初めて来たのは2018年の5月末。語学学校PIENS(パインス)で4カ月間勉強して、その後ワーキングホリデーでカナダへ行った。トロントで1カ月語学学校に通い、残りの8カ月はレストランやウーバーイーツで働いたり、旅行したりした。バギオには失礼だが、カナダに行けばすぐにフィリピンの事は忘れるんだろうなって思っていたら、なぜかすごく恋しくなった。バギオの温かい人達や文化。自然豊かで天候もちょうどよく田舎でも都会でもなく、住んでいると居心地の良さを感じることができる街。そして、2019年6月、PINESにスタッフとして戻ってきた。合計で1年以上バギオに住んでいるが、とにかく「平和」だ。だから、「コロナ」と聞いてもどこか他人事のようにも思っていたのだが・・・・・・。
パニック寸前? 留学生緊急帰国
3月16日月曜日、通常通り授業は行われた。ちなみにこの日は2週間に1度の新入生の入学日でもあった。コロナ禍の不安を抱えながらも遥々とPINESまで来た生徒たちは、オリエンテーションを終え「いよいよ明日から授業だ」と意気込んでいた。
そんな時に突然のニュースが舞い込んできた。「明日からロックダウン」。3月17日よりジプニーやタクシーの運行中止、SMモールも閉鎖、人々の外出は禁止された。何とも急だった。それだけで終わらせてくれないのがフィリピンだった。なんと外国人は3月17日から72時間以内に出国しないと、当面出国できなくなると発表されたのだ。従って、生徒は急いで帰国か残留かを決めなければいけなくなった。学校は帰国する生徒にはマニラ行きのワゴン車を手配したのに加え、残りの学習期間は「延期」という形で3年以内に復学できる、家族や知人にその権利を譲渡できるなどの特別措置をとった。結果、およそ250人いた生徒の7割近くが緊急帰国した。3月16日に入学したばかりの生徒たちもいた。ちなみにこの「72時間ルール」は発表から数日後に訂正され、72時間を過ぎても出国可能となった。こんな感じで、特に3月と4月のフィリピン政府からの発表はかなり急であり、かつすぐに修正されるというようなことが頻繁にあった。
コロナ禍でお酒の販売禁止?
急なロックダウンや完全外出禁止(日本はあくまで「要請」だがフィリピンは「命令」)。日本とは違い過ぎる政府の方針だが、それにも慣れいつの間にかビックリしないようになっていた。と思っていたら、次に来たのが「リカーバン(Liquor Ban)」だった。つまりは酒類の販売禁止。近所のセブンイレブンからは突如お酒が消えた。もちろんこれも突然の決定だった。
日本でも飲み会等でクラスターが発生することがあるが、そのような事態を防ぐことと、健康上のリスク低減が目的だった。バギオのリカーバンは4月から7月初旬に渡って3カ月間続き、その後解除されたものの、感染者増加に伴い、7月27日に再びリカーバンが発令された。8月20日現在も続いている。おかげさまで、お酒が大好きな私はすっかり健康体になった。
先生たちはオンライン英会話に奮闘中?
語学学校はどうしているかというと、オンライン英会話の拡大だ。コロナ前からPINESはオンライン英会話をしていたが、以前にも増して充実化が図られている。コロナ禍で外国に行けない期間が続くからといって英語の必要性が落ちることはない。教育は止めてはならない。当校の元々の強みが1対1のパーソナライズされた教授法なので、オンラインに切り替わっても先生たちは柔軟に適応しているようだ。
コロナ禍で更にバギオが好きになった
フィリピンのコラムやYouTubeをやっている関係で、日本のテレビ局からフィリピンのコロナ禍に関して取材を受けることがあった。インタビューの質問内容はドゥテルテ大統領の過激な発言や、住民のルール違反についての内容が大半だった。テレビだから仕方ないかとも思ったが、フィリピンにはどうしても危険というようなイメージがまだあるのだろう。だが、バギオは違った。住民のほとんどはルールをしっかり守り、外出を控えるし、マスクもちゃんと着ける。感染者が出ても「自業自得だ」なんて思わないし、退院したニュースが流れれば温かく祝福する。ロックダウン後、ここには書ききれてないほどのことが現在進行形で起こっているが、改めてバギオを好きになれたことは、よかったと思っている。(語学学校PINES・日本人スタッフ 河端 健司)