【フィリピノ・ワールド】ピノイとピナイ

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2020年11月2日

 

 

 みなさんこんにちは!Kumusta kayo? フィリピン人は自分たちを呼ぶ時Filipinoと呼んだりPilipinoと呼んだりしていますね。正しいのは一体どっち? そして「フィリピン人」を表す愛称とは? 今回はその謎に迫ります。

 

【国名はどう決まった?】

 

 フィリピンの国名は、フィリピンに到達した船団を率いた探検家ビリャロボスが、レイテ島周辺の島々を、当時のスペイン皇太子フェリペの名にちなんでLas Islas Felipinas(ラス・イスラス・フェリピーナス)「フェリピーナス諸島」と呼んだのが始まりでした。それ以来フィリピンはスペイン語でFilipinasと呼ばれていましたが、本来タガログ語にはFがなくPと発音されるため、エミリオ・アギナルドが第一次フィリピン共和国設立を宣言した1899年頃からPilipinas(ピリピーナス)と呼ばれるようになりました。

 ちなみに英語での国名はRepublic of the Philippines、省略するときはthe Philippinesとなります。例えば「私は3年前にフィリピンに来ました」なら “I came to the Philippines three years ago.”です。sのないPhilippineは「フィリピンの」という形容詞として使うので「フィリピン政府」は “the Philippine government”「フィリピン大使館」は “Philippine Embassy”です。

フィリピンの旅券には「PILIPINAS」と記載。

【フィリピーノ? ピリピーノ?】

 

 スペイン統治下のフィリピンで「フィリピーノ」と呼ばれたのは、フィリピン産まれのスペイン人だけでした。現地のマレー系住民は「インディオ(現地人)」と呼ばれ、フィリピーノには含まれなかったのです。スペイン政府は税金を人種によって細かく決めており、スペイン系の人の税金は免除とし、フィリピン現地の人には人頭税や労役を課していました。1898年のフィリピン独立宣言ではこの仕組みが排除され、フィリピン住民は全て人種を問わずFilipinoとされました。
 1930年代には、ロペ・K・サントスがタガログ語を元にした国語を開発しますが、「F」はフィリピン元来の音では無いため、20文字を独自のアルファベット「アバカダ」として用いるPilipinoを国語とします。その際、「フィリピン人」はFを使わないPilipinoとされました。

 時を経て1987年に新たに定められた憲法で、Fを含む28文字のアルファベットを採用したFilipinoが国語となったため、「フィリピン人」もFを使ったFilipinoになりました。つまりFからPになり、最終的にまたFになって「フィリピーノ」と決まったのは、比較的最近のことなのです。年配のフィリピン人に聞くと、Filipinoは「フィリピン人」の英語名称、Pilipinoがフィリピン語名称、のように説明する人がいるのはこのためです。国名はPilipinasとPのまま変わっていません。

 

フィリピン人の女性はフィリピーナと呼ばれる。

 

【ピノイ、ピナイ】

 

 「フィリピン人」には実は略称があります。彼らは自分達「フィリピン人」のことを愛着を込めてPinoy(ピノイ)、(女性はPinayピナイ)と呼んでおり、アメリカ統治下の1920年代には既にこの呼び名が使われていたといいます。つまり正式な呼び名が「ピリピーノ」になったり「フィリピーノ」になったりしている間も、「フィリピン人」の略称は100年もの間ずっと「ピノイ」だったというわけです。短くして最後に「y」が入ることで愛嬌のある軽い印象が産まれるので、フィリピン人の国民性を表す言葉として最適だと感じてきたからではないでしょうか。さらに、外国の血を引くフィリピン人はメスティーソのピノイとして「ティソイ(Tisoy)」と呼んだり、中華系フィリピン人はChinoのPinoyなので「チノイ(Tsinoy/Chinoy)」と自分達のことを呼んだりしています。

 日本人にとっては、「日本人」をさらに略した愛称を作ることなど想像もつきませんが、なんにでも愛称や略称を付けるフィリピン人にとっては、「ピノイ」「ピナイ」と言う愛称は、自分達の変わらぬアイデンティティを示すキーワードだと言えそうです。

 

 

文:デセンブラーナ悦子
日英・タガログ語通訳。大阪外大フィリピン語学科卒。在学中にフィリピン大学に交換留学。フィリピン人の夫と1992年に結婚、以後マニラに暮らす。趣味はダンスだが、最近は時間が取れないのが悩み。

 

 

 

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