フィリピンの歴史(マニラ関連年表)

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2014年11月29日

[スペイン探検隊、香料諸島への航路の途上でビサヤの島に漂着]

1521年 マゼラン探検隊長、セブのマクタンでラプラプ軍との戦闘で戦死。
1565年 レガスピ率いる遠征隊がセブに来航、植民地活動を開始


[スペインによる統治]

1571年 レガスピ、マニラを占領
1572年 マニラ-アカプルコ間にガレオン貿易始まる(〜1815)
1580年代 イエズス会士、石造技術を持ち込みサンチャゴ要塞を再建
1582年 ドミニコ会修道士フアン・コボが秀吉との和平交渉のため日本に派遣。日本のイエズス会より11人の日本人キリシタンがマニラのディラオに到着
1594年 城門や塁壁をもつ城塞都市イントラムロスが完成
1611年 ドミニコ会、サント・トマス大学の母体を設立
1614年 高山右近、徳川家康の禁教令により内藤如安らとともにマニラに追放
1615年 フアン・デ・シルバ総督のモルッカ征服で500人の日本人が参加
1632年 長崎藩主、130人のハンセン病患者をマニラに送る
1637年 フィリピン人ロレンソ・ルイスが長崎で殉教
1663年 中国人の海賊・鄭成功がマニラ攻略を企図
1762年 スペイン-英国戦争が勃発、英国軍がマニラに入城
1815年 ガレオン貿易廃止
1821年 メキシコがスペインからの独立を宣言
1834年 マニラが国際通商の港として正式に開港
1880年 マニラ-香港間に海底ケーブルが敷設
1887年 リサール、ヨーロッパ留学から一時帰国。リサール、修道会支配を批判する小説『ノリ・メ・タンヘレ』を発表
1890年 ビール会社、サンミゲル醸造会社が設立
1895年 フィリピン博覧会
1896年 ボニファシオらカティプーナン員がスペインに戦闘宣言。リサールが処刑
1897年 ボニファシオ、アギナルドにより処刑。アギナルドが部下を引き連れ香港に亡命

[アメリカによる支配]

1898年 アメリカがスペインに宣戦布告。デューイ提督率いるアメリカ艦隊、マニラ湾に侵入。マニラが陥落しアメリカ軍が占領、スペイン降伏。アギナルド、ブラカン州マロロスで初代共和国大統領に就任
1899年 第1次フィリピン委員会(シャーマン委員長)が到着。革命政府の首都マロロスが陥落し、アギナルドはルソン島各地を転戦
1901年 アギナルドがアメリカに降伏、忠誠を誓う
1930年代  マニラと米西海岸間にパン・アメリカン社のクリッパー便が就航し空の時代に突入。
1941年 日本が真珠湾を攻撃。マッカーサー、マニラを非武装都市と宣言

[日本軍の占領]

1942年 日本軍、マニラを占領、翌日より軍政が施行。バタアン半島攻防戦でアメリカ極東軍が日本軍に降伏。コレヒドール島が陥落
1944年 マッカーサーの率いるアメリカ軍、レイテ上陸を開始。アメリカ軍、リンガエン湾に上陸
1945年 日本軍が無条件降伏
1946年 フィリピン共和国が独立

[マルコス独裁体制の崩壊とアキノ政権誕生]

1965年 フェルディナンド・マルコスが大統領に就任
1972年 マルコス、戒厳令布告に署名
1981年 マルコス、戒厳令を解除
1983年 アキノ元上院議員、米国から帰国直後にマニラ国際空港で暗殺。
1986年 エンリレ、ラモス率いる国軍改革派が決起、ピープル・パワー派がエドサ通りに集結。コラソン・アキノ、大統領就任を宣誓、マルコス一家は軍用ヘリコプターでマラカニアン宮殿を脱出。アキノ大統領、政治犯のシソン共産党議長、ダンテ新人民軍司令官らを釈放

編集: 「ナビ・マニラ」 Navi Manila
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