戦争の記憶をたどり今のマニラを眺望する Manila Clock Tower Museum

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2024年4月17日

英国ロンドンのビッグ・ベン、北海道の札幌市時計台、東京・銀座和光の時計塔など、時計台は街のシンボル。そこで、マニラを代表する時計台はどこにあるのかといえばマニラ市のシティホールである。マニラ・クロックタワー・ミュージアムとして、一般にも開放されているのだ。

 

 

Manila Clock Tower Museum
所在地:4th Floor, Manila City Hall, Padre Burgos Avenue, Ermita, Manila
開館時間:火~日曜日10am~3pm
入場料:100ペソ

 

フィリピン最大の時計台
内部は7階建ての博物館

 

 

 マニラ・クロックタワー(またはマニラ・シティホール・クロックタワー)は、フィリピン人建築家のアントニオ・トレドによる設計で1930年に完成。1945年のマニラ市街戦のときに破壊された。その後、修復、改装を経て、2022年にマニラ・クロックタワー・ミュージアムとして公式に一般に開放されることになった。高さは約30メートル。フィリピン最大の時計台であり、内部は7階からなる博物館となっていて、各フロアは次の通り。

 

 

1階:1945年のマニラ市街戦で破壊された家屋などを再現。被害を受けたマニラ・クロックタワーの写真や開戦時の新聞、そして戦死した兵士の写真96枚で覆われた壁「ウォール・オブ・ヒーローズ(Wall of Heroes)」がある。

攻撃を受けた時計台、投下された爆弾の模型、日本による爆撃で開戦を伝える新聞の見出し、1941年12月マッカーサー元帥によって布告された「オープンシティ(非武装都市宣言)」の掲示。マニラ市街戦の歴史が生々しくよみがえる。

 

2階&3階:フィリピンのアーティストによる絵画や彫刻などの芸術作品を展示。販売も行っている。

 

4階:マニラ市長室のレプリカがある。歴代の市長の肖像画が飾られている。執務机に着き、写真を撮ることもできる。

マニラ市長の執務室のレプリカ。マニラ市の紋章に描かれているのは、上からマニラの美称「東洋の真珠」、スペインの国力を象徴するライオンとその統治が及ぶ遠方の地を示すシンボルのシーライオン、そしてパシッグ川の波。

 

5階:多目的文化ホールとして、アーティストによる作品を展示。

1734年に発行された地図製作者ペドロ・ムリリョ・ベラルデによるフィリピンの地図。

6階:クロックタワーの時計が正確に時を刻むためのメカニズムを展示するフロア。10万年以上も正確に時間を示すように設計されているという。クロックタワーには東向き(マラカニアン宮殿方面)、西向き(イントラムロス方面)、南向き(リサール公園方面)、北向き(ボニファシオ・シュライン方面)の4つの時計がある。

クロックタワーの東西南北にある時計のメカニズム。歴史を感じさせる。

7階:6階かららせん階段を登るとたどり着くクロックタワーの最上階。マニラの街並みを360度眺めることができる。

 

 

時計台だからこそ知る
昔と今のマニラ

 

 

 歴史の展示ありアートギャラリーあり、展望台ありのクロックタワー・ミュージアムを楽しんだ後は、3階にあるクロックタワー・カフェでくつろぐことができる。

 

 

 筆者にとってのハイライトの1つは、1階のマニラ市街戦の展示だ。マニラ市にはところどころに戦中の悲劇を伝える碑や絵画などが展示されている。日本人は学んでおきたい歴史である。1930年からマニラの街を見つめ、戦争で破壊されたこともあるクロックタワーは、歴史の証人であり、戦争の被害者でもあるのだ。

 

 

 なんとかと煙は高いところが好きと言われるが、まさになんとかの部類に入るであろう筆者にとっては展望台がよかった。周囲は窓で閉ざされているので、開放感いっぱいというわけにはいかないが、やさしく自然光が入り込むフロアは趣がある。30メートルの高さからぐるっと活気あるマニラを眺めることができるのは、ここしかないのではなかろうか。そして、戦中のマニラと、今のマニラを一緒に見ることができるのも、このクロックタワーの存在意義であろう。(T)

 

 

 

(初出まにら新聞2024年3月16日号)

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