【マニラ像めぐり】ロドルフォ・V・キソン

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2024年5月6日

マニラ市ロハス通りのパンバタ博物館(Museo Pambata、子ども博物館)の前に建つロドルフォ・V・キソン像(Rodolfo V. Quizon, 1928~2012)。同博物館はキソンが設立したRVQ財団からの寄付を受けた。

 

 

アルバイト三昧の少年
ダンサーとしてデビュー

 

 

 「ドルフィー(Dolphy)」の芸名で知られるコメディアンで、「キング・オブ・コメディー」と呼ばれた。マニラ市トンド地区で10人兄弟の2番目に生まれたキソンは、少年の頃から映画館でのピーナツやスイカの種の菓子を売る仕事や、靴磨き、工員、港湾作業員、カレッサ(フィリピンの馬車)の運転手など、さまざまなアルバイトをしていた。そして、時間があるときは、劇場でショーを見ることが趣味だった。特にスタンダップコメディーとダンスを見ることが好きだったという。

 


 17歳になったころ、当時公演を見ていたダンサーから1カ月間コーラスダンサーとして出演するオファーを受け、キソンは初めて舞台に立つ。その後、映画「ドゥゴ・ナン・バヤン(Dugo ng Bayan/I Remember Bataan)」に初出演し、フェルナンド・ポー・シニアと共演した。彼の息子はFPJの愛称で知られるフィリピン人映画スター、フェルナンド・ポー・ジュニアであり、後にキソンの友人となる。

 


 そしてキソンは、映画製作会社のサンパギータ・ピクチャーズによって、喜劇俳優パンチートとコンビを組むこととなり、コメディアンとして人気を集めた。

 

 

 

テレビ、映画、ラジオ、舞台で
活躍 受賞歴も多数

 

 

 1964年~1972年にかけて相方のパンチートとともに出演したテレビ番組「ブハイ・アーティスタ」で成功を収め、多くのパロディ映画を製作した。映画、テレビ、ラジオ、舞台演劇でも活躍したキソンのキャリアは67年に及んだ。その間、2010年のゴールデン・ハート勲章やアウトスタンディング・マニラン賞、2012年のディワ・ナン・ラヒ賞など、多くの賞を受けている。

 


 エンターテインメント業界の人気者は、私生活でも女性に人気があったようだ。未婚のまま生涯を終えたキソンだったが、6人の女性との間に17人の子どもを授かっている。晩年をともに過ごした歌手・女優のザ・ザ・パディーラとは事実婚のパートナーとして約20年間連れ添った。

 

 

 

( 初出まにら新聞2024年2月13日号)

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