可能性は無限大 進化を続けるヨーヨー

この記事をシェア

2024年3月15日

 

 

ヨーヨーといえば、縁日で見かける「水ヨーヨー」だったり、おもちゃ屋で売っているものだったりと、日本でも小さなころからなじみのある人は多いのではないだろうか。 1970年代には日本でヨーヨーブームもあったらしい。そんなヨーヨーは、実はフィリピン発祥であるといわれていることはあまり知られていない。フィリピンで生まれたとされ世界的にも広まったヨーヨーの歴史を紐解きつつ、ヨーヨーに人生をかけるプロヨーヨープレイヤーの2人に聞いた。(取材・文:荒田玲音)

 

 

 

 

 

マッキー・プロフェタさん(27)(左)
Macky Profeta

 

 

カビテ州タンザ町在住。フィリピン・ナショナル・ヨーヨー・コンテスト2016、2018、2019年チャンピオン。2015年と2018年にシンガポールで開催されたアジア・パシフィック大会に参加。自身のヨーヨーブランド「マスターピース(Masterpiece)」を持つプロヨーヨープレイヤー。

 

 

デイブ・ソリタリオさん(25)(右)
Dave Solitario

 

 

首都圏タギッグ市在住。フィリピン・ナショナル・ヨーヨー・コンテスト2023年チャンピオン。ヨーヨーブランド「マジック・ヨーヨー(Magic YoYo)」をスポンサーに持つプロヨーヨープレイヤー。

 

 

 

 

ヨーヨーの歴史

 

 

 ヨーヨーそのものの発祥については諸説あり、実際の発祥地や年は定かではない。一方で、現在でも使われている「ヨーヨー」という名称は古いタガログ語から名付けられたという説があることや、1916年に米国の雑誌でヨーヨーが紹介された際に、「フィリピンの玩具」とされたことから、フィリピン発祥であるという印象が強いと考えられる。
 ヨーヨーが世界的に有名な玩具として知られるようになったのは、フィリピン系米国人のペドロ・フローレス氏が米国でヨーヨーの生産・販売を始めたことがきっかけ。またコンテストを開催したことで、ヨーヨーブームの火付け役になった。その後フローレス氏は商標登録と会社をドナルド・ダンカン氏に売却。このダンカン氏がヨーヨーをさらに広めることとなった。ダンカン社は今でもヨーヨー界をリードする存在だ。

 

 

 

 

―ヨーヨーを始めたのはいつ?

 

デイブさん(以下敬称略):最初にヨーヨーを始めたのは子どものころで、おそらく10歳くらいでした。学校にあったおもちゃの中で、一番惹かれたのがヨーヨーだったんです。SMショッピングモールでヨーヨーのイベントを見たのがきっかけで、ヨーヨーのコミュニティーがあることを知り、フィリピン・ヨーヨー協会のクラブミーティングにも参加するようになりました。

 

 

マッキーさん(以下敬称略):12歳ごろだったと思います。テレビで見て、自分でも家で遊ぶようになりました。ヨーヨーのコミュニティーに参加するようになったのは2012年ごろです。インターネットを通じてフィリピンにもヨーヨーの大会があることを知り、大会を見に行ったときにコミュニティーについて知りました。その頃からヨーヨーも上達し始めました。

 

 

 

―プロのヨーヨープレイヤーとは?

 

デイブ:大会に出場するようになると、他のプレイヤーと競うレベルに達しているという意味で、プロのプレイヤーとして認められます。ただ「マスター」の称号を得るには、子どもたちに教えるようになってからと言えるでしょう。

 

マッキー:プロになるのに資格や試験はないのかと、ベテランプレイヤーの先輩に聞いたことがあります。彼によると、どうやら昔は資格があったようです。そして今でもあるべきと考えられています。しかし現状として、プレイヤーの技量やパフォーマンスから、明らかに秀でていることやマスターの称号に見合っていることが判断できるので、特に資格や試験の制度は実施されていません。

 

 

デイブ:昔は基礎レベルからハイパーレベルまでランク付けされていて、日本では今でも検定などがしっかりと実施されているようです。ただフィリピンでは楽しんでプレーすることが優先されていて、技を習得するのに苦労して嫌になったりすることがないように考えた結果、検定制度がないんです。

 

マッキー:私たちは毎日ヨーヨーに触れています。練習しているわけでなく、遊んでいるだけとしても触れない日はないですね。ヨーヨーは私たちにとって生活の一部です。ただ大会が近づいてくると、練習にかける時間も増え、入賞やチャンピオンの座を狙って技に磨きをかけます。実は1つの技を完璧に習得するには1万時間が必要と言われています。それだけプロヨーヨープレイヤーにとってヨーヨーなしの生活は考えられないとも言えますね。

 

 

 

マッキーさんのヨーヨー専用アタッシェケース

 

 

 

―大会はどのような仕組み?

 

デイブ:全国大会は1年に1回です。全国の前に、ルソン、ビサヤ、ミンダナオ地方それぞれの地域で大会が行われ、その上位入賞者たちが全国大会で競うことになります。大会は1A、2A、3A、4A、5Aの5つのカテゴリー(※下記表参照)に分かれていて、私とマッキーは4Aでチャンピオンになりました。

 

マッキー:大会ではパフォーマンスに使用する音楽も重要な要素です。使う音楽の規定もなかなか厳しく、例えば歌詞に汚い言葉が入っていたらその音楽は使えません。音楽の選択はプレイヤーによって異なり、音楽を先に選んでから技やパフォーマンスの組み合わせを考える人もいれば、逆にやりたい技に合わせて雰囲気の合う音楽を選ぶ人もいます。

 

デイブ:音楽に合わせてヨーヨーでリズムにのれるかなど、パフォーマンスが音楽と合っているかどうかも評価対象です。

 

マッキー:カテゴリーによってパフォーマンス時間は異なりますが、私たちが参加する4Aでは、予選は1分、決勝は3分と決められています。大会の審査方法は国際ヨーヨー連盟で定められている方法に則っています。審査内容はおおまかに「パフォーマンス」と「技術」の2つです。パフォーマンスでは、先ほど話した音楽との調和やパフォーマンスの個性、オリジナリティなどが採点されます。技術ではヨーヨーの技、トリックに焦点が置かれます。時間内にいくつのトリックをこなすかや、失敗の有無がポイントの増減につながります。

 

 

 

 

 

―ヨーヨーの魅力とは?

 

デイブ:ヨーヨー本体と紐だけでさまざまなスタイルを生み出せることは魅力の1つ。紐の流れや動かし方を少し変えるだけで、より注目されるパフォーマンスを生み出すことができます。

 

マッキー:ヨーヨーのトリック数は無限大で、大会では毎年のように新たな大技が披露されて驚かされます。私たちも自分のオリジナルのスタイルや技を開発して大会に臨みます。また、他のスポーツや競技同様、プレイヤー自身がやっていて単純に楽しいことと、パフォーマンスを見る観客も楽しませることがヨーヨーの魅力です。

 

 

 

アルミからプラスチック製、サイズの大きいもの、アンティークコレクションまで、さまざまなヨーヨー。

 

 

 

―フィリピンおよび世界でのヨーヨー人気は?

 

デイブ:現在のフィリピン・ヨーヨー協会のフェイスブックメンバーは3千人ほどです。フィリピンでは今、ティックトックなどのSNS上でヨーヨーブームが巻き起こっています。短いビデオを作成して、技を披露したり、自身のブランドを宣伝したりするのにもってこいのプラットフォームです。

 フィリピン系米国人のペドロ・フローレスがアメリカでヨーヨーを広めたことや、ヨーヨーの語源が古いタガログ語であると言われていることから、ヨーヨーはフィリピンの印象が強いですが、一方、そのフローレスからヨーヨーの会社を買い取ったおもちゃメーカー、ダンカン社の影響もあり、米国のプレイヤー人口は多いですね。

 

マッキー:日本は世界大会の優勝者を多数輩出している国です。尊敬できるプレイヤーがたくさんいて、安定した正確なパフォーマンスを見せてくれるので毎年感動しています。日本には昔のコカ・コーラヨーヨーなどのアンティークものや、より技術を必要とするヨーヨーもあったりします。 
 ヨーヨーはこれから世界でもっと人気が出ると思います。より若い世代もスマホなどを持ちSNSを活用するようになった今、簡単にパフォーマンスを見て学ぶことができるので、多くの人を惹きつけやすくなっています。

 

 

 

「タワー」を披露するマッキーさん

 

 

 

―今後の目標は?

 

マッキー:何といっても世界チャンピオンになる夢を追い続けています。そのために今後もさらに練習していきます。また、より多くの人にヨーヨーの良さを知ってもらうために、普及活動にも力を入れたいです。

 

デイブ:ヨーヨーの市場をより大きくすること、そしてヨーヨーをフィリピンの文化としてもっと多くの人に楽しんでもらうことが目標です。

 

 

 

子どもに人気の技だという「DNA」

Advertisement