折り鶴に思いを込めて

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2018年9月12日

セブ観音戦没者慰霊祭
by: 蝶谷 正明(セブ日本人会)

今年の8月15日もセブは夏の日差しがじりじり照り付ける日でした。
市内を一望に見下ろす山の中腹にそびえるマルコポーロホテル。その敷地内のセブ観音の前で恒例のセブ日本人会主催戦没者慰霊祭が粛々と行われました。
日本からこのために駆けつけられた方も含め老若男女約100名が集い、不戦と平和の思いを新たに胸に刻み込みました。
小学生から高齢者、リタイアされた方、ビジネスをされている方、語学留学生等様々な邦人が観音像の前に参集しました。
日比国歌、黙祷、鶴岡領事事務所長追悼の辞、櫻井日本人会長挨拶(代読)に続き、全員が心を込めて献花と焼香。
真白な菊の花と日本から持参のお香の香りが真っ青なセブの空の下で戦没者の御霊を慰めました。
続いて観音様の由来についてセナプロケミカル社の後藤様からご紹介、石田元日本人会長が戦争末期のセブでの戦闘の様子を詳細に説明されました。
戦争末期、このホテルのある一帯の山中に立てこもった日本軍は米軍やゲリラの猛攻、食糧不足、マラリアやデング熱などの悪疫に苦しめられました。
7000余の戦病死者を出しましたが、フィリピン人市民やゲリラ、米軍にも多くの犠牲者がありました。
この高台から見下ろせる現在のウオーターフロントホテルとITパークはかつての日本軍ラホグ飛行場の跡です。
1944年11月ここから神風特別攻撃隊の一番機が飛び立ちました。
1970年代半ばから慰霊団がセブを訪れるようになり、この地に多くの慰霊碑が建てられました。
しかしセブプラザホテル(当時)建設のため撤去を求められ、1983年に慰霊碑に代わり海軍部隊慰霊団の手によりセブ観音が建立されました。
当時ホテルは用地の無償提供ばかりか観音様の周りに小公園を整備し、現在に至るまで自社の責任に於いて維持管理をされています。
そのご厚誼に報いる意味も込めて領事事務所、商工会、日本人会のイベントにはマルコポーロホテルを利用する場合が多いと言います。
今年の慰霊祭はこれまでに比べて色鮮やかでした。日本人補習校の生徒や各国から英語留学のためセブを訪れる若者が思いを込めて折った色とりどりの千羽鶴5000羽が観音様に供えられたのです。
こうした平和を希求する思いがこのセブで亡くなった国籍も人種も異なる多くの御霊に伝わり、世界に真の平和が訪れ、永遠に続くことを祈らざるを得ませんでした。

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