ハロハロ・ノート「バナナ・ケチャップ」

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2020年6月6日

第40回(最終回)Banana Ketchup

 

 フィリピンで日本人が必ず一度は見てびっくりするものの一つに、バナナ・ケチャップがあります。日本人にとっては、喜んで飛びつくようなものではありませんが、フィリピンの人たちにとっては、子供のころから食べなれた味。トルタン・タロン(ナスのオムレツ)や、ローカルスタイルのフライドチキンに合うのは、甘みのあるバナナ・ケチャップだと言います。

 実はバナナ・ケチャップが開発されたのは、アメリカ植民地時代のこと。アメリカの植民地になったフィリピンには、当時アメリカからトマト・ケチャップを含め、加工食品がたくさん入ってきていました。しかし、フィリピンではトマトが高価だったので、国内では作れず、輸入品は高価でした。そこで当時国費でアメリカのワシントン大学に派遣され、薬学と食品化学を学んだマリア・オロサという女性が帰国後考え出したのがバナナ・ケチャップでした。もちろん、バナナと酢をベースにしてつくったペーストは、そのままでは色が良くないので食紅を入れて赤くしたのが、今も販売されているバナナ・ケチャップの原型になりました。

 

 マリア・オロサはフィリピン政府の植物産業局 (Bureau of Plant Industry)に勤め、ココナッツの加工品マカプノを瓶詰にして保存する方法を考え出したり、カラマンシ・ジュース・パウダー等を開発したりしました。第二次世界大戦がはじまり食糧不足になると、マリア・オロサは米ぬかや大豆粉を使った食品や牛乳の代替品を発明し、そのおかげで多くの人が飢餓から救われたと言われます。さらに戦争が厳しくなると、親戚はマニラからの疎開を勧めますが、彼女は自分にできることがある限りはマニラに残ると決めていました。そして捕虜になったアメリカ人やフィリピン人に、特殊な方法で食料をこっそりと届けていたそうです。大戦末期の1945年2月には、日本軍が占拠していたマニラ市街へのアメリカ軍の砲撃が始まります。マリア・オロサはその戦火の中でも植物産業局で研究をつづけていましたが、アメリカ軍の爆弾の破片に当たり負傷、一旦は救出され病院へ運ばれたものの、治療中に再度被弾し亡くなりました。戦後フィリピン政府はマリア・オロサの偉業をたたえ、サン・アンドレス地区にある植物産業局に記念碑を立て、彼女の名をマラテにある道路に名付けました。。

 

 さて、マリア・オロサの開発した当時のバナナ・ケチャップのレシピはわかっていませんが、販売されているバナナ・ケチャップの着色料が気になる方もいらっしゃるでしょう。実はバナナ・ケチャップは自宅で簡単に作ることができます。このレシピでは着色料を使わず、今では簡単に手に入るトマト・ペーストを使っています。日本人にも親しみやすい醤油を隠し味に使ってみました。酢が入っているので、清潔な瓶に入れて冷蔵庫で保存すれば2週間はもちます。オムレツやフライドポテト等にも一緒にどうぞ。今回でこのハロハロノートは連載を終了します。長らくのご愛読ありがとうございました。(悦)

 

〈バナナ・ケチャップのレシピ〉

《 材 料 》
調理用サバ・バナナ(完熟したもの)3本


赤玉ねぎ(小)1/2個
にんにく 2片
ショウガ 親指の先程度 
植物油 少々
トマト・ペースト1パック(70g)
酢 90ml
砂糖  1/4カップ
塩 小さじ1
醤油 小さじ1/2
カイエン ・ペッパー 少々 
水 1/2カップ

 

《 手 順 》
① サバ・バナナは皮をむき、フォークなどで身をつぶしておく。

② 玉ねぎはみじん切りにし、ニンニクとショウガはすりおろす。

③ 鍋に油を入れ、②を入れて玉ねぎを焦がさないよう炒める。焦げそうになったら水を少し入れて焦げないように炒める。

④ ③にバナナを加え、酢、トマト・ペースト、砂糖、残りの水を加えて混ぜ、焦がさないよう時々かき混ぜながら10分ほど煮る。塩、醤油を加え、お好みでカイエン・ペッパーを加え味を調える。

⑤ 火を止め、少し冷ましてから、フードプロセッサーにかけて、ケチャップのような緩めのペーストになるまで混ぜる。お好みでタバスコやチリパウダー、スパニッシュ・パプリカなどを加えても。

 

 

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