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コミュニティ防疫体験記 「私のニューノーマル」

2020年6月6日

  マニラ首都圏やセブ、ダバオでは6月1日に一般コミュニティ防疫(GCQ)へと緩和され、まだ規制などはあるもののようやく普通の生活ができるようになりつつあります。2カ月以上のロックダウンを体験した在住日本人に、GCQを迎えた心境を聞きました。

 

 

 

自炊をするうちに料理にめざめた

 

たくせきさん(マカティ市在住)

 

①強化コミュニティ防疫中はずっとできずに我慢し、GCQへ緩和されてから、まずしたことは?

 外での散歩です。今までは必要な買い物のためのスーパーマーケットへの道のりしか外に出れませんでしたが、緩和後に人混みを避けつつ、ゆっくりと陽の光を浴びてお散歩しました。

 

② ロックダウンを振り返って思うこと。

 当初想像していた以上に深刻な事態で、まさか海外でロックダウンを経験するとは思ってもみませんでした。今もまだその影響は続きますが、個人レベルで思うのは、普段当たり前に生活が送れるありがたさとともに生活や仕事における無駄も見直すきっかけになりました。

 

③コロナ禍が自分にもたらしたニューノーマル (新常態、新しい常識)とは?

 生活面では、元々自炊をする方でしたが、自炊頻度が上がり、料理のレパートリーがとても増えました。また、家での仕事習慣が身につき、仕事の効率はアップしました。家で仕事をすることによって、同じ場所での気持ちの切り替え方など新たに身につけたものも多いです。

 

人生で初めて揚げた天ぷら

 

 

 

 

ウォーキング再開、極道映画解禁

 

蝶谷 正明さん(セブ市在住)

 

①強化コミュニティ防疫中はずっとできずに我慢し、GCQへ緩和されてから、まずしたことは?

 セブ市は6月1日からGCQに移行した。マンダウエ市在住の親友と2カ月振りにビレッジ内のウオーキングを再開した。毎日チャットや電話でコンタクトは取っていたが、直接会って一緒に汗を流せた感激はひとしお。今後は少人数でのオンラインではない飲み会をしようと夢はふくらむ。

久々に友人とのウォーキング(写真右が筆者)

②ロックダウンを振り返って思うこと。

 時間をこれほど贅沢に使えたことはこれまでない。直接人に会うことができない寂しさやストレスはあるが、自分と妻との時間を十二分に持てたこと、友人の価値を改めて認識出来たことは得難い経験だった。

 

③コロナ禍が自分にもたらしたニューノーマル (新常態、新しい常識)とは?

 ヤクザや極道映画を堂々と観るようになったこと。これまで密かに興味は持っていても、行動に移すことがはばかられていた。「タブー」が消し飛んだようだ。残された人生は限られており、自分に対して素直になったのかもしれない。コロナが私の背中を押してくれたのか?モラルや法に抵触しない範囲でもっと正直に人生を謳歌していこうと思う。

 

 

 

人生初のダイエットに成功

 

KOさん(ダバオ市在住)

 

①強化コミュニティ防疫中はずっとできずに我慢し、GCQへ緩和されてから、まずしたことは?

 夜にジョギング。ダバオでは5月16日からGCQに緩和され、外出時間は午前6時から午後6時だったのが、午前5時から午後9時となった。あまり変わらないような、一方で、新型コロナの脅威もそれほどではないことがわかり、気分的にはリラックス。

 

②ロックダウンを振り返って思うこと。

 生活を見直すきっかけになった。

 

③コロナ禍が自分にもたらしたニューノーマル (新常態、新しい常識)とは?

 ダイエットに人生で初挑戦。その方法は次の通り。
(1)毎日、体重測定。意識が高まる。
(2)1日の食事を6回にわける。在宅ワークゆえに可能。
(3)運動。特に高強度インターバルトレーニング。具体的には、300mを全力走で2、3本を週に数回。 有酸素運動も適宜組み合わせた。
(4)食事の計量。おかずやご飯の重さを測り、どれくらい食べると眠くなるかを把握。
(5)ソフトドリンクは飲まない。飲み物は蒸留水かブラックコーヒー。
(6)菓子は食べない。甘味は、 ハチミツ少しまたは冷凍庫で冷やした70%ダークチョコを少し摂取。
(7)ランジという大腿、大殿筋に効かせる大股歩きで朝散歩50歩。都会では視線が痛いかも。
(8)関連知識の入手。
 結果、78.3Kg(4月7日)→73.3Kg(5月23日)。47日間でマイナス5キロ、1日100グラム減量。自己コントロール感があり、実際に体調も良くなり楽しいですね。新型コロナが、一生ものの健康習慣を身に着ける切っ掛けになったかもしれません。

産直野菜のステーション。週2回、ダバオ市まで片道約100キロの道のりをアポ山の農民が配送するようになった。