マリア像を訪ねて街角に柔和な笑み表情、装飾に個性

この記事をシェア

2015年10月12日

The Gentle Smile of the Images of Virgin Mary
文と写真by 立田成美

   フィリピンでの暮らしが始まって1カ月が過ぎた。初めての海外生活。道端でバスケットボールを楽しむ少年たち、市場に並ぶ見慣れぬ野菜や果物、マカティ市中心部にそびえ立つ超高層ビル群。目に映るもの全てが新鮮だが、最も心を奪われたのが街の至るところにひっそりとたたずむマリア像だ。

カトリックを信奉するこの国の人々にとって、イエス・キリストの母であるマリアもまた、信仰の対象となっている。雑踏の中、不意に現れる数多の像は、一体ずつ表情や所作、装飾が異なり、言い表せぬ魅力を放っている。そんなマリア像を、街を散策しながらつぶさに観察してみた。
首都圏マカティ市のマカティ市役所に程近いゼナイダ通りを歩いていると、鉄格子付きのほこらの中に納められているマリア像を見つけた。現地の人に怒られそうだが、まるで日本の地蔵菩薩のようだ。
マリア像は手を合わせながら、柔和な表情で天を仰ぎ見ている。スパンコールでできた青いベールと金色の光背が、日差しを受けて美しく輝いていた。鉄格子越しにほこらをのぞくと、像の目線の先にあるほこらの天井には、真っ青な空が描かれていた。
像の足元には、フィリピンの国花「サンパギータ(アラビアジャスミン)」でできたブレスレッドが飾られていた。白い花はまだみずみずしい。おそらく、日曜日の礼拝の度に、誰かが取り換えているのだろう。
ほこらの中は掃除が行き届いており、塵一つなかった。現地の人々の信心深さにあらためて感じ入り、十字を切ろうと思ったが、うっかり手を合わせてしまった。
さらに市役所近くをぶらついていると、Nガルシア通りとコンセプション通りがぶつかる一角に、小さなマリア像があるのを発見した。先ほどのほこらに納められていた像とは違い、屋外に安置されている。正直なところ、像よりも華やかな周囲の装飾に目が行った。
像の両隣には羽を大きく広げた2羽の水鳥、足元には水差しと水瓶が配置されていた。おそらくこの装飾は、キリストがマリアとともに招かれた婚礼の席で、水瓶の水をワインに変える奇跡を起こしたエピソードを表しているのだろう。
水差しの底には穴が開いており、パイプ管がのぞいている。どうやら、水差しから水瓶に、水が流れる仕組みになっているようだ。手の込んだ装飾と仕掛けは、もはやアート作品のよう。こんな遊び心が垣間見られるのも、フィリピンのマリア像の魅力の一つだ。
これまで見てきたマリア像はどれも肌が白く、西欧人ふうだった。だが、首都圏マニラ市のサモラ通りとメデル通りの交差点にあるマリア像は、フィリピン人のような褐色の肌が特徴的だ。
このマリア像は、交差点の角にある、吹きさらしの2階建ての建物に飾られていた。同じく褐色の肌をもつ赤子のキリストを胸に抱き、2階部分から通りを過ぎていく人々を見下ろす格好になっている。
これまでに見てきた天を仰ぎ見るマリア像も、神聖さが際立っていた。だが、道行く住民をほほえみを浮かべながら見守るこの像は、より人間に営みに近い場所にいるような気がして、親しみの気持ちが湧いた。
最後に、これまでに街中で見た一番小さなマリア像を紹介したい。その「マリア様」がましますのはタクシーのダッシュボードの上。タクシーに乗ると、高確率で運転手がウレタン樹脂製のマリア像、もしくは聖母子像を飾っている。
運転手の一人になぜ像を飾っているのか尋ねてみた。その運転手は、なんでわざわざそんな質問をするのか、不思議そうな顔をしながら「マリア様が自分たちが進むべき方向へと導いてくれるからさ」と答えた。
進むべき方向へ導くのは乗客のはずだが……とおもわず口を突いて出そうになったが、運転手が「人生の導き」について言ったのだということに気が付いて、言葉を飲み込んだ。
個性豊かなマリア像を一つ一つ観察することで、カトリック信仰がいかにフィリピンの庶民生活に深く根付いているかを知ることができた。街を歩くときには、普段見過ごしがちな道端や路地裏に目を向けてほしい。そうすれば、きっと今まで気が付かなかった優しい笑顔に出会うことができるはずだ。
たてだ・なるみ(マニラ新聞記者)

ナビ・マニラ第23号[Navi Manila Vol.23]より

 

Advertisement